宇佐飴を製造する是恒商店、豊後高田市の岡部商事が継承へ
全国八幡社の総本宮・大分県の宇佐神宮の名物土産「宇佐飴(あめ)」を豊後高田市の「岡部商事」が継承する。宇佐市で店を構える「是恒商店」の経営者ががんを患い、後継者を探していた。宇佐飴を製造する店はピーク時の昭和40年代に約20軒あった。高齢化や担い手不足で、今では3軒のみ。岡部商事の岡部嘉洋営業部長(46)は「4月から製造を始める。伝統を守りたい」と意気込んでいる。 是恒商店の3代目、是恒豊さん(56)=宇佐市南宇佐=は昨年2月に大腸がんを、4月に肺がんを患った。「後継ぎはいないが、何とか残したい」と、体調が悪くなると、すぐに後継者を募集した。姉の大鍛治馨さん(56)を通じて岡部さんと知り合い、共通の知人が多いことなどから任せることにした。
岡部さんは最低でも週3日、店に通って修業に励んでいる。引き継ぎが決まり、10月中旬に初めて商店を訪問。是恒さんの作業に打ち込む姿を目の当たりにした。「残していかなければ」と意を強くした。伝統の味とともに店の名前が書かれた看板と袋を引き継ぐ。通常の白と、豊後高田産のピーナッツが入った宇佐飴を大小二つ製作。人気漫画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」をイメージした柄などの袋に入れ、小分けして買い求めやすくした。店内には豊後高田市の特産品を置いて2市をPRする。 是恒さんによると、宇佐飴は約70年前、仲見世会が整備された際に、是恒さんの祖母艶子さん(故人)が広めたという。 正月前には製造の最盛期を迎え、もち米と麦芽を煮詰めて作った水あめを準備。機械で練って空気を含ませて白くなった飴を手際よく手で延ばした。はさみで一口大の大きさに切り分けて袋詰めにした。 是恒さんは「抗がん剤治療で体がきつく、第一線を退く。治療に専念し、時間を見つけては手伝いをしたい」。 岡部さんは「若い人は宇佐飴を知らない人が多い。砂糖や添加物が一切入っていない。伝統を継承し、広い世代に広めたい」と話した。 <メモ> 宇佐飴の形は板状や白い一口大のあめ。素朴な味わいが特徴。神功皇后が朝鮮半島を攻めた際に宇佐飴を持ち帰り、皇子の応神天皇を育てる際に、母乳の代わりに御乳飴として使ったとされる。最古の記録は1864年、幕末の旅絵師、蓑虫山人(みのむしさんじん)が宇佐地方を訪れた際に記した絵日記の中に描かれている。