安室奈美恵引退に考える昭和平成歌の文化史 もうひとつの太平洋戦争
抵抗と融合
しかし60年代末から様子が変わる。 長引くベトナム戦争への反対から、アメリカでプロテストソングが広がったのだ。ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリーなど、フォークソングを基調として、若者たちの集会で反戦歌が歌われた。日本にもその影響を受けたフォークソング・グループが輩出する。レコード会社やプロダクションにマネージメントされるのではなく、自主的にグループを結成して活動し、歌い手が自ら作詞作曲を手がけるシンガーソングライターが当たり前になった。資本主義の走狗としてのテレビには出演せず、コンサートで若者たちの連帯を呼びかけた。 大学にいるとき、70年安保に向かって全共闘運動が広がる。歌声は、ヘルメット、ゲバ棒、火炎瓶とともに、つまり小さな戦場にあったのだ。70年代は、ベトナムを空爆するアメリカとそれに従う日本の政治体制への反対から幕を開けたのである。面白いもので音楽は、支配的な文化力になびくとともに抵抗する、振り子のようなところがある。こういった状況の中から、僕は吉田拓郎という音楽家に親しみを感じ、今でも彼のファンである。 とはいえ、みんながみんな政治的だったわけではない。学生運動が沈静化するとともに、テレビにも出演して女の子の嬌声を浴びるグループサウンズというものが一世を風靡する。ザ・タイガース、ザ・スパイーダース、ブルーコメッツなど。ソロでは売れないけど、グループならなんとかなるといった風潮であったが、その過程で歌謡曲とポップスが一体化しはじめたのも事実だ。 「スター誕生!」というオーディション番組が人気を呼び、女の子のアイドルが量産された。中でも桜田淳子、森昌子とともにトリオといわれた山口百恵は独特の吸引力をもち、反体制的な気分の若者にも支持された。結婚を機にキッパリと芸能界から身を引いたが、その潔さからも、安室奈美恵に比肩されよう。百恵と安室を比べれば時代の相が見えてくるのだ。 若者たちは政治的な紛争のあとの安らぎを求めたといえようか。芸能界はもっぱらアイドルに向かった。音源はレコードからカセットテープに変わった。どこにでも持ち歩ける手軽さがポイントで、ウォークマンはその象徴である。 80年代、何人もの女子アイドルが出ては消えたのだが、松田聖子の存在は圧倒的であった。そしてグループサウンズのあとを受けた男子アイドルグループを組織的にマネージメントしたのがジャニーズ事務所であり、その代表格が少し前に解散したSMAPである。 日本の歌謡曲をアメリカンポップスが圧倒する時代から、アメリカ文明に対するプロテストの時代を経て、Jポップというのか和製ポップスの時代へと移った。つまりアメリカ文化と日本文化が融合する時代になったのだ。かつての神仏習合のように*2。