安室奈美恵引退に考える昭和平成歌の文化史 もうひとつの太平洋戦争
アメリカ文化の圧倒
僕が軽音楽に目覚めたのは、中学から高校に進むころであった。 音源はラジオが主で、美空ひばりや三橋美智也といった日本の歌謡曲と、エルヴィス・プレスリーやコニー・フランシスといったアメリカのポップスと、二つの流れがしのぎを削っていた。前者は、戦争をまたぐ時代の切実な国民感情を背景にし、後者は、戦勝国アメリカの物質的豊かさへの憧れを背景にしていた。 しかし音楽というものに最初に金を払ったのは、ハリー・ベラフォンテ、ザ・プラターズなどのレコードを買ったときだ。黒人の声質とリズム感に魅了されたのだが、日本人でも白人でもないというところに、ひとつの文化選択があったのかもしれない。 テレビの時代になると、まだアメリカから本物を呼ぶことはできず、翻訳されたポップスを歌うタレントが必要で、これをビジネスにしたのが渡辺プロダクションであった。ザ・ピーナッツ、坂本九、ジェリー藤尾、森山加代子、中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりの三人娘などが画面をにぎやかす。 1960年代、高度経済成長の時代であった。 そこには日本文化とアメリカ文化の戦いが現れている。もうひとつの太平洋戦争といってもいい。 戦前を振り返っても、日本の歌謡曲と欧米の軽音楽との関係は、前者すなわち列島の津々浦々に根づいた日本人の情緒を、後者すなわち西欧文明の文化力が圧倒していく過程であった。戦前から戦後にかけて、洒落者はフランスのシャンソンを口ずさみ、マニアはアメリカのモダンジャズに聞き惚れ、左翼はロシア民謡を合唱したが、次第にアメリカのポップスが圧倒した。 やがてそのアメリカ文化の本家であるイギリスからビートルズという四人組がやってくる。エレキギターというマシンガンを携えて。コンサートでは感動のあまり失神する女の子が続出し、彼らはプレスリーに代わる世界のスーパースターとなった。今日の“嵐“にまでつながる男子アイドルグループの原型である。 前に、英語、背広、スポーツ(球技)を英米帝国の力と結びつけたが*1、軽音楽でも英米は世界の若者を席巻したのだ。