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アサヒビール、マツダを救った「経営再建のプロ」銀行マンの凄さ

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マネーポストWEB

「確かにこの会社は満身創痍の状態です。だがまだ死んじゃいない!」──銀行員の企業再建に向けた熱意に、社員たちも奮い立つ。『半沢直樹』(TBS系)の一場面なのだが、実際の銀行員はどのように赤字企業の再建に関わっているのか。 【写真】アサヒビール社員の意識を変えた樋口廣太郎氏

 銀行が経営を立て直した象徴的なケースとして、元みずほ銀行支店長で作家の江上剛氏が挙げるのはアサヒビールだ。1980年代、アサヒビールは新参のサントリーにまで抜かれそうになるほどシェアを落とし、経営難に陥っていた。

「住友銀行(現・三井住友銀行)から村井勉氏、樋口廣太郎氏と2代続けて副頭取が社長として送り込まれた結果、“夕日ビール”と揶揄されていたアサヒは『スーパードライ』という大ヒット商品を生み出し、長年トップだったキリンを一気に抜き去った。

 その推進力となったのが樋口氏で、酒屋を一軒一軒訪問し、自ら前垂れを掛けて店頭に立ち、社員の意識を変えた。これは銀行マンだからではなく、樋口廣太郎という人の凄さと言えるでしょう。

 銀行による経営再建が難しいのは、“再建に失敗しても銀行に戻れる”という安心感があるからで、その会社に骨を埋めるぐらいの意識がないと難しいことです」(江上氏)

 樋口氏とともに尽力した村井氏は、アサヒビールに入る5年前にマツダの再建にも関わった。

 1967年に世界初のロータリーエンジン搭載車を発売し、好調だった東洋工業(現・マツダ)は、オイルショック後も強気の増産を続けたことが裏目に出て赤字に転落した。

 そこで1976年に住友銀行から常務の村井氏が乗り込み、副社長に就任して再建に挑んだ。だが、初出社のときは労組による1万人座り込みストが行なわれ、「住友進駐軍帰れ」、「マッカーサー帰れ」の大合唱が起きたと後に明かしている。

 村井氏は、「コーヒー飲ませてくれや」と組合事務所に頻繁に足を運んで人間関係を構築。社内の構造改革に取り組みながら、1979年にフォードと資本提携し、経営を安定化させた。1980年には5代目「ファミリア」が大ヒットし、マツダは危機を脱した。わずか4年で経営を立て直したのだ。

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