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あと3年とも思ったけど… 相場格言「まだはもうなり」で社長退任 松井証券顧問の心得

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NIKKEI STYLE

《連載》私のリーダー論 松井証券 松井道夫顧問(上)

松井道夫さんは兜町の中小証券だった松井証券を、東証1部上場のインターネット証券トップ企業に成長させた。娘婿として34歳で入社、社長を25年間務めた。旧態依然とした商慣習や業界ルールをひたすら壊し、新しいビジネスを構築し続けた。そんな松井さん、社長退任にあたり会長に就かず、経営の第一線からすっぱり身を引き、周囲をあぜんとさせた。

■「まだはもうなり」

――社長を退任し、顧問へ。同族経営の会社ですし普通なら会長になると思いますが。 「70歳まであと3年、社長を続けようかとも思いましたが、まだはもうなり、という相場格言が頭をよぎりました。企業で二頭政治は絶対ダメです。社長が会長補佐のような存在になってはいけない。だから会長になりませんでした。顧問になって月給10万円、出社は週1、それもだんだん減らします。もう会社には来モン、と言ってます。会長にならないから、政府から委嘱された審議会の仕事も、経済団体、証券業界団体の役職も一切やりません」 ――25年間、常務時代も入れると実質、30年間の社長時代を振り返るといかがですか。 「松井証券に入り、海外研修を終えて帰国した1988年はバブルの真っ盛り、証券業界は天から札束が降ってくるような状況でした。90年にバブルがはじけますが、当時はすぐ戻るという認識が大勢でした。常務になり、実質社長の立場になった私は、当時30人いた歩合給の営業担当者と営業店舗を全廃する方針を決めました。歩合給の営業担当は手数料の6割を会社に入れ、4割が手取りで、年収5000万円超のすご腕がゴロゴロいました。会社全体の手数料の7割を歩合外務員が稼いでいました。そんな会社の収益源を一掃し、コールセンターによる電話での注文に切り替えるという私の方針は、もう反対というレベルではなく、気は確かか、という反応でした。岳父の松井武氏は、とんでもない婿さんを取ってしまったねと、周囲から同情されていました。でも振り返ると、みんなが反対したことは大体、成功しました。逆にみんなが賛成したことは大体、うまくいきませんでしたね」 ――周囲の反対にめげずに方針を貫き続けた。 「いや、そんな格好いいものではなく、結構ぐじぐじ悩みましたよ。営業を一切やめて、新聞広告を出し、電話による注文を待つ、というやり方は当初、まったく成果が出ず、広告費ばかりがかさんでいく。周りは、それみたことか、やめろやめろの大合唱です。これは失敗したかな、と弱音を吐きかけていたら、コールセンターの女性社員が言いました。常務、なんとなくにおうんです。問い合わせも増えていますし、もう少し続けませんかと。天の声だと思いました。それから徐々に、営業をしない松井証券をいいね、というお客さんが増えていきました。個人投資家は、証券会社の営業トークにうんざりしていたんです。通信取引が拡大し、顧客は北海道から沖縄まで広がりました。一方でたくさんのベテラン社員が、私のやり方に見切りを付け、辞めていきました」

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