桂枝雀と桂雀々、師弟の「奇跡的な類似」と独特な「距離感」…似ていたのは口調だけではなかった!
桂枝雀と桂雀々の芯
枝雀を襲名する前の小米のころから、彼の落語は「マニアックな喋り」と言いたくなる細かい可能性を秘めていた。 それはいろんな言い方が出来るのだが、たとえばひとつ言うなら「丁寧なやさしさ」というところだろうか。 笑わせることだけが落語の目的ではない、と枝雀は考えていたようにおもう。 上方ではあまり表面だって演じられない「人情味」が枝雀の落語にかぎってとても色濃く出ていた。 これは師匠の米朝の持ち味にはほぼ感じられなかった。 枝雀のものである。 雀々は、そこがもっとも枝雀に似ていたようにおもうのだ。 口調を真似ているうちに心情まで似通ったのか、もともと枝雀と雀々の芯のところが似ていたのか、枝雀落語を聞いてしんみりする部分は、雀々の落語からも強く感じられた。 おそらくもともと桂枝雀と桂雀々の芯には似通った部分があったのではないだろうか。 それが奇跡的な類似を生んだ。
「死んだとはおもえへんなあ」
雀々さんの落語会に行ったとき、もう20年以上前のことで、同行の人物に誘われて楽屋を訪問してそのまま打ち上げについていったことがあった。一回ぎりのことである。 さほど深い話をした覚えはないのだが、まだ枝雀さんが亡くなってさほど経ってないころでもあった。 なんとなく枝雀師匠の話になり、雀々さんは、明るく「そういえば、師匠はいまどないしてはんのやろか」と言った。 死んだとはおもえへんなあ、とも洩らしていた。 なんかそのへんにいてはるような気がして、と雀々は明るく言って、この師弟はそういう距離感なのかと少し感嘆していた。 そして桂雀々さんも亡くなってしまった。 ただただ、悼むばかりである。 【さらに読む】『新作落語一本で、じつに軽妙…99歳で亡くなった「最高齢の噺家」桂米丸の「えもいわれぬ味わい」』
堀井 憲一郎(コラムニスト)