「自分はずっと補助席で」“ヤンキースで叩かれた左腕”井川慶が味わった過酷マイナーとメジャー格差「ホテルでの名前はスタンハンセン、と」
プロ野球とメジャーリーグが佳境を迎える中で、かつての名選手はどのような思いを持ってグラウンドに立ってきたか。阪神、ヤンキースで“批判されがち”だったものの、NPB時代に最多奪三振3回、最多勝と最優秀防御率1回を獲得した井川慶(45歳)に聞いた。〈NumberWebインタビュー/全2回〉 【写真】「井川45歳、だいぶ顔プックリしたな…」17歳の学ラン投球フォームと見比べ。ノムさんとガッチリ握手、なぜか「スタンハンセン」だったヤンキース時代の投球などレア写真を全部見る
かつての最多勝エースは東京メトロでやってきた
「傘がなくて……。駅まで来ていただけますか?」 かつて阪神のエースだった井川慶に話を聞くため、東京都内で会う約束をしていた。急に雨が降りはじめ、やがて本降りになった。私のスマートフォンに連絡が入ったのはそんなときである。 新幹線で東京駅に着いて、タクシーでやって来るのかと思いきや、地下鉄でやってきたのだという。 「東京駅から有楽町駅、もっと近いのかと思ってました。歩いたら遠いですねえ」 傘をたたみながら、豪快に笑っている。プロ野球選手はだいたいクルマで移動する。ましてや、2003年に20勝を挙げて阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた、かつての一流選手である。それなのに……。
「ムッシーナも20勝シーズンに辞めましたよね」
沢村賞投手が東京メトロでやって来た。 その言動に驚いている時点で、とらわれてしまっている。彼を「プロ野球選手だから……」という色眼鏡で見てしまっているのだ。誰もが自分のモノサシで人となりを思い描くが、井川をそんなふうにとらえようとするほど、輪郭がぼやけてくる。そのことは、いまの姿をみればよくわかる。 15年限りでオリックスを退団後、独立リーグでプレーし、最近は評論活動のため、野球場にも現れる。でも、まだ現役引退を表明していない。「え? なんで」と思った時点で、すでに彼の実像からは遠いところにいる。 井川は言う。 「たとえば、ヤンキースでチームメートだったマイク・ムッシーナにしても、20勝したシーズンに辞めましたよね。日本人にはない辞め方をいっぱい見てきました。だから、自分も型にはハマらないというか」 まるで空を漂う雲のように、あるがままに形を変える。そんなスタイルはアメリカの荒野のなかで、育まれていった。
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