カラオケ映像「名古屋が多い」? 業界の先駆けJOYSOUND、実はブラザーの子会社 意外な誕生の経緯
最新のJポップをはじめ、次々と楽曲が加わる通信カラオケ。通信網を使って配信する今や当たり前の手法ですが、30年前に業界に先駆けて開発した企業が名古屋市にあります。「JOYSOUND」のブランドで知られるエクシングです。取材を進めると、1990年代のカラオケブームを牽引したことに関係があるのか、「カラオケの背景映像には名古屋が多いという都市伝説があるのかもしれません」と言うのです。その真相とは。(近藤郷平)
「ゲームチェンジャー」として参入
業界初となる業務用通信カラオケの「JOYSOUND」の初号機が発売されたのはバブル経済がはじけた後の1992(平成4)年。同年に設立されたエクシングは、工業用ミシンなどを手がけるブラザー工業の子会社で、実はうまくいかなかったコンピューターソフトのオンライン自動販売機「TAKERU(タケル)」の技術を転用しようと挑んだのがカラオケ業界でした。 当時のカラオケ機器の主流といえば、直径30センチのレーザーディスク(LD)方式で、機器がLDを読み取って楽曲や映像を流していました。そこに、エクシングが業界のいわば「ゲームチェンジャー」として新規参入しました。 LDは新曲が出てから音や映像を収録し、実際に供給するまでにどうしても月単位で時間がかかってしまいます。一方で、通信カラオケは回線を使って配信するため、LDの弱点を埋めることができる手法でした。 もっともJOYSOUNDは最初、当時主力だったスナックやバーなどのナイト市場向けを狙いましたが、鳴かず飛ばずで苦戦したそうです。LDで定番だった約3千曲を用意したものの、レコード会社が権利を持っている石原裕次郎さんや美空ひばりさんなどの曲の許諾が出なかったことも響きました。 この3千曲の作成に資本金8億円の半分を使うなど、手元には残り3億円。参入していきなり危機に陥るなか、ナイト市場からの撤退を早々に決断し、狙いを若者に変更。普通ならカラオケにないようなアルバム曲を含めて若者が歌いたい楽曲を突貫工事で約2千曲作り、カラオケボックスに置いたところ大ヒット。生産が追いつかない状況になったといいます。 ちょうどカラオケボックスの市場が拡大するタイミングで、時代の追い風もありました。90年代はTRFをはじめとした「小室ファミリー」やB’zなどの全盛期で、大物アーティストたちによるCDのミリオンセラーが続々と生まれた時期。カラオケブームの94年に入社した制作部の金子暢大部長(50)は「若い人たちが歌いたい曲が増えていっているブームのタイミング。(通信カラオケで配信する)コンピューターミュージックを次々と提供でき、若者にとっても音の違和感がなく、相乗効果となったのでは」と振り返ります。