Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

着陸用の車輪もなく――特攻機“桜花”を見送った男性 戦争から75年目の夏、平和への思い

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
中京テレビNEWS

 75年前の夏――。死ぬと分かっていても、進まなければならない時代。そんな現実を見てきた男性が語った“戦争”とは。  家族を、友を守るため、命をかけた若者たち。 「特攻隊というのはもう最高の栄誉、誉れやねえ。これで死ねる、頑張れる。現代の人にはその気持ちはわからんと思います」(元特攻隊員 鈴木道郎さん(2017年当時・87歳) 「国内の人たちがもっと(戦争の)被害を受けるでしょう、今まで以上に。それを若者が防ごうとして(特攻で)立ちはだかるのは当然じゃないですか」(元特攻隊員 板津忠正さん(2014年当時・89歳) 「俺の命はあんな簡単なボートと交換かと。棺おけに入る練習や毎晩そんなバカなことがあるかと」(元特攻隊員 高羽明さん(2017年当時・90歳)  特攻とは、命と引き替えの必死の攻撃。それは“必ず死ぬ”ということ――。75年前、命をかけて戦場に散った、多くの若者たち。  散りゆく彼らを見送ってきた男性が、その経験を語ります。 「ああっ散る桜、残る桜も散る桜で、俺もそのうち行くからな」(元海軍航空隊 飯田一さん(2019年当時・94歳)

 岐阜県可児市に住む、飯田一(ひとし)さん(2019年当時・94歳)  飯田さんは15歳の時、海軍に入隊しました。 「来たれ大空へ、若者は。来たれ大空へっちゅうような、あおり立てて、それに憧れて」(飯田一さん/2019年取材)

 当時の少年たちの夢は、兵隊になること。雑誌には、勇ましく闘う兵隊の話や、大空を駆け回る航空隊の記事がたくさん載っていたそうです。しかし… 「(予科練に)入って、しまった、と思いました。(出来が悪いと)毎日お尻を樫(かし)の棒で叩かれてね」(飯田さん/2019年取材)  飯田さんが入ったのは、海軍航空隊。  そこでは、予科練習生、通称・予科練と呼ばれる15歳から17歳ぐらいまでの少年たちが、飛行機に乗るため、厳しい訓練に励んでいました。  2年あまりで、予科練を卒業した飯田さん。

【関連記事】