養老孟司×岩村暢子「戦後日本社会が消し去ったもの」
昔からお坊さんと話が合った
岩村》先生、お久しぶりです。体調がよろしくないと伺っていましたが、お身体の具合はいかがでしょうか。 養老》肺がんが見つかったんですよ、4月に。抗がん剤治療と放射線治療を受けて、今はかなり良くなりました。がん治療はこの30年でとても良くなりましたね。抗がん剤も吐き気などの副作用がよく言われていましたが、僕はなんの問題もなかった。 岩村》それは良かったです。私も実は先月、3回目のがん手術をしましたが、今回はロボット手術。本当に進歩していて、お陰で周りに気づかれないうちに仕事復帰しました。 今日はいろいろお伺いしたいことがあってお邪魔しました。ご著書『なるようになる。』は、タイトルを見たとき、先生にしては少し投げやり? とも思ったのですが、拝読すると「なるべくしてなる」という意味だとわかり、納得しました。大自然や生き物も含め、人の人生も偶然の積み重ねとしての必然と捉えられて語っておられる。いつごろこのような境地に達せられたのですか。 養老》ずっと前からですよ。50代のときにはすでにそうでしたね。お坊さんと話が合いましたから(笑)。お坊さんといえば、福井県の永平寺に南直哉という人がいて、以前面白い話を聞きました。若いころ、1日に5、6時間ほど坐禅をしていると、たびたび野良猫がやってきた。最初は自分のことを避けて通っていたけど、5年ほどすると、気にせず踏んで通るようになった。そのときに、「ようやくここまで来れた」と思ったんだそうです。今この箱根の昆虫館に通っている小林くんという若い男性がいるのですが、彼は蛾の研究をしていて、よく夜の森に入っていく。彼が言うに、身体に力が入っていると虫が見えないけれど、本当に力が抜けた状態になると虫が寄ってくるんだそうです。ブレイクダンスをやっているので身体のことに敏感ということもあるでしょう。南さんの話に似ていると思っていて。そういう境地があるんでしょうね。 岩村》自分の存在というか気配を消すと、生き物も警戒しなくなると。 養老》そう、それも自分で無理に消そうとするわけではなく、ひとりでに消えている。でも若いうちにはできないですね。 岩村》若いうちは何かが邪魔するのですか。 養老》人の目が気になる、というのはありますね。「おかしい奴だ」と思われるでしょうから。でも、だんだん年をとってわかってきました。僕の場合は本当に関心がなかったんです、いろいろなことに。とくに感情の絡むことについては、できるだけゼロにする訓練をしていたみたいで。 岩村》それはなぜでしょう。 養老》よくわからない。たぶん怒ったり、喜んだり、感情に左右されないほうがいいとどこかで思っていたのだと思う。 岩村》そういうものに左右されずに在りたいと。私はがんになっても、いつも周りに言わないのですが、それは「わぁ、がん! 大変……」と感情的に動かされるのが嫌で、大事なことには淡々と対応したいからなんです。