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“ゾロアスター教”はなぜ滅びゆくのか─敬虔だった祖父が「地獄に落ちた」と言われて

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クーリエ・ジャポン

インドのゾロアスター教の家庭で生まれ育った母と、異教徒の父のもとに生まれた筆者。一族で最後のゾロアスター教徒となった祖父の死をきっかけに、彼は自らのルーツを探るため、インドへと向かうことを決意する。 しかし、旅を通じて出会ったこの宗教の神官や信者の言葉に、彼は戸惑うことになる。神官たちの言うとおり、祖父は死後に地獄へ落ちてしまったのか。そして異教徒との間に生まれた自分は、永遠に神殿にすら入ることを許されないのか。 ゾロアスター教をめぐる筆者の旅の記録を、3回にわけてお届けする。 祖父はけっして背の高い男ではなかったが、今では滑稽なほど小さく見えた。彼は子供のように小さかった。生まれたばかりの赤ん坊のように、オフホワイトのシーツにくるまれて、頭と足の裏だけが見えた。目を開き、見る者が戸惑いを感じるほど口をぽかんと開けていて、まるで驚いているかのようだった。 彼の遺体は、今にも壊れそうな木製の担架の上に寝かされていた。そばでは白いローブを着た3人の神官が、日常的に話されなくなって久しいゾロアスター教の聖典の言葉、アヴェスター語で詠唱していた。彼らの前では、銀製のつぼの中で小さな火が燃えていた。 ムンバイは雨季の真っただ中で、礼拝堂の空気は湿気で重かった。時折の豪雨も、熱や湿気を一時的に弱めることはなかった。神官たちは卓球のラケットに似た扇であおぎながら、朗々と詠唱をくりかえしていた。 祖父が何年もの間、ビロードの帽子をかぶり、祈祷書をもって、一日に何回も小さな声でゾロアスター教のお祈りをつぶやいていたのを覚えていた。しかしそれが大きな声で唱えられているのを聞くのは、この葬儀が初めてだった。 母と私以外の参列者は、ほとんどが祖父の年老いた友人と遠い親戚たちで、ほぼ全員がインドに住むゾロアスター教徒、「パールシー」だった。

「ゾロアスター教」ってどんな宗教?

その日の午後遅くに、火葬がおこなわれた。クロム製の炉から発する熱が、空気をさらに蒸し暑くさせた。ほんの数分で遺体は1kgの灰に変わり、翌朝ココナッツほどの大きさの袋に入って私たちに渡された。祈祷は次の日も続いた。長い儀式は、悲しみをゆっくりと乗りこえる道筋を示してくれる。 葬儀後の数日間、ほぼ1世紀をゾロアスター教の信仰に捧げて過ごした祖父が、一族における最後のパールシーになるだろうという悲哀に、私は胸を打たれた。 イギリスで育った私は、ゾロアスター教の歴史について少しは本で読んだことはあるが、基本的なことしか知らなかった。最古の宗教の1つで、預言者ザラスシュトラの教えにもとづく。ザラスシュトラは何千年も前の人物だが、彼が生きた正確な時期や場所はわかっていない。(紀元前1500年頃、イランや中央アジア、あるいは現ロシアの南部に生きたとされているが、時期については数世紀前後するとも言われる。) ザラスシュトラは、強力な神と悪の霊との大いなる闘争を説いた。この闘争において、信者たちは光の側を助けるため、考え・言葉・行いにおいて、できるすべてのことをしなければならない。この信仰は口伝で何世紀にもわたって伝えられ、その後、羊皮紙に記された。 ゾロアスター教は千年以上にわたり、ペルシアでもっとも有力な宗教だった。しかし、それも7世紀にイスラム教が出現するまでのことだった。イスラム教に改宗するのを拒否したゾロアスター教徒の一部は逃げ、インド西部のグジャラート地方にたどりついた。 そこで彼らは、ペルシア出身であることから「パールシー」として知られるようになった。彼らは善の象徴である聖なる火を守るため、新しい神殿をいくつも建てた。これらの火は神官たちによって管理され、決して絶えることはなかった。 パールシーたちは、その地を支配するヒンドゥー教徒たちに布教をしないと約束した。この約束は数世紀を経て、他宗教からの改宗を忌避する教義へと変化した。彼らの厳格な種族意識のおかげで、この小さくも独特なコミュニティは、千年以上も存続することができたのだ。 しかし今の世界では、この非妥協的な態度がコミュニティを消滅させようとしている。 インドのパールシーの人口は、1941年には11万4千人だったが、2011年におこなわれた最新の国勢調査によれば、5万7千人にまで減少している。今世紀の終わりには、世界でたった9千人しか残っていないと予測されている。

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