パラアスリート・七野一輝「立位での経験を武器に、車椅子競技生活の可能性を楽しみたい」
「もしパリでメダルを取れていたら、競技人生を終えていたかもしれない」 いま、清々しい表情で振り返るのは、パリ・パラリンピック卓球競技に出場した七野一輝(オカムラ)。 二分脊椎という障がいを抱え、下半身に障がいがある。 クラッチ(杖)を使っての卓球から、2年前、怪我をきっかけに車椅子卓球に転向する。 パリでの悔しさと、そこから新たな目標へと再び立ち上がる思いを聞いた。
「すごいね」でのめり込んだ卓球
生まれつきの二分脊椎による下肢機能障害で、膝から下の感覚がなく、太ももの筋肉が弱い。 卓球との出会いは中学1年生のときだ。 私立和光中学校(東京都町田市)で、当時卓球部顧問だった井上先生が、障がい者との共同教育を推進、その雰囲気の良さもあって卓球部に入部した。 入部当初は、試合で勝つというよりただ楽しむことしか考えなかった。 「試合に出場すると、障がいがあることで色々な目で見られると思い込んでいて、躊躇していました。井上先生から『1回でいいから試合に出てみなよ』と後押しされて、出場すると、会場ですごいね、と声をかけてもらいました。それが嬉しくて、卓球にのめり込んでいきましたね」
父が見つけてきたパラ卓球
中学3年生の時、父がインターネットでパラ卓球の大会を見つけてきた。パラ卓球について何も知らないまま、全日本パラ卓球選手権(当時:国際クラス別パラ卓球選手権大会)の立位の部に高校1年生で出場した。 翌年の高校2年生の同大会で準優勝すると、国際大会派遣選手に選考された。国際大会のことも何も考えていなかったが、薦められるままに高校3年生の時に国際大会に初出場した。 「ちょうど当時はリオパラリンピックの時期で、出場を決めている選手と一緒に合宿をしたり、大会に参加させていただいて、少しずつ自分自身パラリンピックに出場したい、と思うようになりました」
立位の部から車椅子アスリートへの転向
その後、全日本パラ卓球選手権大会の立位クラス6で3連覇、世界選手権出場するなど順調な競技生活を送っていたが、競技生活を揺るがす事態が起きる。 2022年4月、元々亜脱臼していた股関節が肉離れの怪我により悪化し、立位でのプレー継続が困難になったのだ。 「もし完治しても大きなリスクを抱えながら競技を続けることになってしまう可能性があり、思い切って車イスに転向しました」 過去、日本において、立位と車椅子の両方で優勝したパラ選手がいないことに象徴されるように、車椅子卓球はまったく別の世界だった。 「着座時は立位と違って、目線や重心が変わります。卓球台の奥行きがわかりにくいのです。土台は安定しますが、攻撃と変化を使うバランスが難しい」 持ち前の負けん気で、その大きな壁を乗り越えた七野は、全日本パラ卓球選手権大会の車椅子クラス5の部で初出場初優勝、その年は立位クラス6の日本代表に選出されていたが、車椅子転向により、代表活動には参加できていなかった。しかしこの優勝をもって車椅子の日本代表に正式に認められた。(※転向当時は国際クラス分けを受けていなかったのでクラス5でプレー) 「車椅子転向後すぐだったので、パリは正直難しいと思っていましたが、初出場の国際大会で世界ランキング3位の選手に勝ち、次の大会でも全勝優勝し、初登場で世界ランキング3位となりました」 車椅子アスリートとしての経験が少ないぶん、色々な選手のビデオをみて、この選手のこの技術を参考にしよう、など研究を重ねた。 正式にパリパラリンピックに出場が決まったとき、嬉しいと同時に、もっと準備しなければ、という気持ちだったという。