迫るロシア軍からドネツク州ポクロフスク近郊で、大規模な避難活動...東部戦線の「ターニングポイント」に
ポクロフスク市近郊の避難活動が加速
その日から再び、ポクロフスク市近郊の避難活動が加速することになった。 ドネツク州は隣接するドニプロペトロウシク州やボランティア団体と協力して、避難民を各地域へとピストン輸送するための避難バスを急きょ運行し始めた。ポクロフスク市の各地域まで車で迎えに行き、中心部まで連れてくる、そして避難バスに乗せて各都市へと送り出す。 ウクラインスクなどポクロフスクより南部の地域では町の一部がロシア兵に占領され、偵察隊があちこちにいるという状況だという。 ポクロフスクでの救出・避難活動を行っているボランティア団体「チルドレン・ニュージェネレーション」に同行して市内各地を取材した。 この団体はポクロフスク市の西方約180キロにあるドニプロ市を拠点に、開戦直後の22年3月から活動し、住民の救出や避難、支援物資の配達など、特に低所得者層への支援を続けている。 ポクロフスク中心部でドニプロ行きのバスの周りに7~8人の避難者がいた。全員ウクラインスクから逃げてきた人たちだ。 救出に行ったボランティアが街中でロシア兵に遭遇し尋問を受けたが、「民間人のボランティアで住民を避難させている」と伝えると、何も言わずに立ち去ったという。 避難者たちもロシア兵に遭遇していた。実際、ロシア兵に多くの人が殺されたといい、生き残った人々は命からがら逃げてきた、と教えてくれた。 避難をしてきた数人に声をかけたが、何も話すことはないと断られ、やっと一人の高齢女性が重い口を開いてくれた。 「ロシア兵の偵察隊が来て、私たちを地下の避難所に閉じ込めた。3歳と2歳の子供を含む21人がいた。入り口をマットレスで塞いで2日間閉じ込めた。民間人だと言って外に出してくれるよう頼んだが、彼らは機関銃を私たちに向け、ひざまずくように言った」 「その後ロシア兵が手榴弾を投げ込み、爆発してマットレスや薪が燃えた。私はどうやって外に出たのか分からない。そこにいた人のうち生き残ったのは6人だけ。皆、煙で窒息死した」 「私は家の玄関に座っていた。家は破壊されてしまい何もなかったから......。そのうちボランティアの人たちがやって来て、私の荷物を車に積んでここまで連れてきてくれた」 ウクラインスクは9月24日頃、ロシア軍に完全制圧された。 9月9日、さらに南部のヘルニャックへボランティアと共に向かった。ロシア軍が村の北部に侵入しているが救出活動が続いており、近くのクラコバという町を経由してポクロフスク市内へと避難させていた。 クラコバの町は前線から近い所で3キロ、遠い所で12キロ離れているが、ウクライナ軍が砲撃をしている場所で、その反撃を受け町中が破壊されていた。 取材時も、ウクライナ軍の砲撃音がひたすら続き、そのうちロシア軍の反撃があり、町のどこかに着弾をする、の繰り返しだった。へルニャックから救出された人々を待つ待機場所近くにも着弾し、大きな音と振動で建物に避難をする。 そんな状況で覚悟を決めているのか、あるいは慣れたのか、平然とした住民がいる。こちらもできる限り状況に慣れようと、平静を保つよう心がけた。 救出されてきた人が10人程度集まると、待機していた数台の車両に荷物を積み、身分証をチェックして写真を撮り、それぞれ乗り込んでバスが待機するポクロフスク中心部へと運ばれる。この日は25人前後がヘルニャックから避難してきた。 【心動かされてシャッターを切る】 救出団体チルドレン・ニュージェネレーションのメンバーで、ポクロフスク市セリドべ出身のフェディール・シロバツキーは言う。 「戦争が続いているので、国内の安全な場所に人々を避難させる必要がある。われわれのホットラインへ依頼があれば、ドニプロ市の一時避難場所に移動させる。その後、希望する全員に宿泊施設を提供する。避難を望んでいる人がいる限り、私たちはこの活動を続けるつもりだ」 9月11日も前日同様、クラコバでヘルニャックから救出されてくる人々の取材をしていた。この日、私はボランティアの1人に「ヘルニャックへ同行させてほしい」と頼んだが、即答で断られた。もしメディアや外国人を同行させて事故があった場合、同行させたウクライナ人が責任を問われる。無理強いはできない。 だがその日最後のヘルニャックへの車が出発しようとした時、ボランティアが「早く車に乗れ」と声をかけてくれた。 「危険すぎてもう村の中には入れないので、今回は村の外れで住民を乗せた車両と待ち合わせをしている」とのこと。そこまでなら大丈夫ということらしい。 クラコバから北東に20分程度でヘルニャックの西の端の待ち合わせ地点に到着した。車を止めて1分もしないうちに猛スピードで1台の白いバンが近づいてくる。こちらの車両を少し追い越したところで急停車。車のドアが開くと、数人が駆け降りてきて荷物を降ろし始めた。 そして車内から数人が降りてきた。西日を背に粛々と車へと乗り込む。その光景に見とれ、気付いた時にはもう出発だった。 救出活動の最前線ヘルニャックでの滞在時間はわずか2分。その間に撮影した写真は数カットだけだったが、本当に心動かされてシャッターを切った。 9月12日、ボランティアのフェディールが支援物資を持っていくというので、防弾ガラスを貼り装甲された車両に同乗して、ロシア軍があと2~3キロまで迫っているセリドベに向かった。 8月末に訪れた際は、危険とはいえ人通りもあり、営業中の店もあった。 だが改めて訪れた町は主要な建物が破壊され、道路にバリケードが張り巡らされていた。この日は特に砲撃音が激しく、どちらのものか不明なドローンが上空を絶えず行き交い、通り過ぎてしばらくするとドローンを狙う機関銃の音が響いてきた。 【ポクロフスクに迫る砲撃音】 このようにとても危険な状況の中、物資を届けるのはなぜなのか。フェディールは言う。 「2日に1度、朝のうちにパンや水を届けている。町には2000人くらいの人が残っていて、みんな何らかの理由があり避難をしようとはしないんだ。だから自分が必ず食料や水などを届けている。皆が私のことを待っている」