華麗なる一族「ケネディ家」、あなたの知らない驚くべき真実
米国では時に「アメリカの王室」にもなぞらえられるケネディ家。華やかな人生を送っているように思える一族だが、「ケネディ家の呪い」という言葉が存在するように、悲劇的な不幸に見舞われることが多かった。 そこであまり知られていない一族の真実をピックアップしてみた。 【写真】“ゴールデン・サン“と呼ばれた故大統領の息子…写真とともに振り返るJFKジュニアの38年の生涯
ジョンはホワイトハウスの中で迷子になった
ジョンはブルールームへ客を招こうとした折に食品庫へ案内してしまった。この間違いに彼は笑いながら「ああ、この部屋もお見せしたかったんですよ」と言った。
ジャッキーは4ヶ国語を操った
ジャッキーは母国語の英語のほかに学校と世界中を旅しながら学んだスペイン語、フランス語、イタリア語に精通していた。これはジョンの大統領選に際して非常に有効で、英語が話せない有権者を取り込むことに成功した。
ジャッキーのファッションセンスを称賛した人々は多かったが、痛烈な批判も受けていた
ファッションセンスが際立っていた彼女のワードローブのアイテムは多くのデザイナーもコピーしてコレクションに加えるほどだった。しかし、最初の大統領選挙のキャンペーン中にはファッションに高額を費やしすぎていないかと痛烈な批判も受けた。 フランスのクチュールに心酔しすぎているのでは?という批判はケネディ家の関心がアメリカ以外のところにあるのではないかという憶測まで呼んだほどだった。
暗殺の日、ジャッキーは意図的に血痕がついたスーツを脱がなかった
1963年にジョンが暗殺されたとき、有名なピンクのスーツを着たジャッキーはJFKの横に座っていた。事件直後、ジョンソンが副大統領から大統領に昇格した時点でも着替えようとはしなかった。 ジョンソンの妻、レディ・バード・ジョンソンは着替えないのかとジャッキーに尋ねたが、ジャッキーはこう答えた。 「いいえ、ジャックに何をしたのか彼らにちゃんと見てもらいたいから」。 このスーツは現在国立公文書館に収蔵されている。しかしその時に彼女がかぶっていたピンクの帽子は見つかっていない。
ジャッキー・ケネディとその父親との関係は惨憺たるものだった
ジャッキーの父、ジョン・ヴェルヌー・ブーヴィエ三世は二人の娘をとても愛していた。しかし、実は「派手な女性関係・深酒・散財」など多くの問題を抱えていた。 JFKとジャッキーの結婚式では、飲みすぎて酔っ払っていた父親の代わりに継父が花嫁ジャッキーとヴァージンロードを歩いた。
ジャッキーはジョンが大統領に就任する以前にも離婚したがっていた
2人の結婚生活におけるさまざまな問題はホワイトハウスで始まったものではない。彼がアメリカ大統領になる前にもジャッキーは彼との関係に疑問を持っていた。