「戦後史の闇に光を当てたい」 “三鷹事件”の第三次再審請求が申し立てられる
9月3日、1949年に起こった「三鷹事件」の第三次再審請求が東京高等裁判所に申し立てられた。 【写真】JR東労組が建てた、事件の五十年碑
「無人電車」が脱線し6名が死亡
1949年7月15日、東京都・北多摩郡三鷹町(現在の三鷹市)にあった国鉄三鷹電車区(現・JR東日本三鷹車両センター)から無人電車が暴走。電車は三鷹駅に進入した後、車止めを突き破って脱線・転覆しながら、線路脇の商店街に突っ込む。6名が即死、負傷者も20名出る大惨事となった。 捜査当局は「共産革命を狙う政治的な共同謀議」による犯行として、国鉄労働組合(国労)の組合員の日本共産党員10人と非共産党員であった元運転士の竹内景助氏を逮捕。 1950年、東京地方裁判所は検察側の「共同謀議」の主張を否定し、竹内氏の単独犯行として往来危険電車転覆致死罪により無期懲役の判決を下す。1951年、東京高等裁判所は書面審理だけで一審判決を破棄し、より重い死刑判決を言い渡す。弁護側は最高裁判所に上告したが、口頭弁論も開かれないまま、1955年に死刑判決が確定した。
再審請求の経緯
竹内氏は1956年に東京高裁に再審請求(第一次)を申し立てたが、1967年に収監先の東京拘置所で脳腫瘍のため獄死。再審請求も翌年に棄却された。 2011年、竹内氏の長男が請求人となり、東京高裁に第二次再審請求を申し立てる。弁護団は科学的鑑定に基づく新証拠や竹内氏の自白の任意性(問題点)、目撃証言に関する実験結果による鑑定などを主張・提出した。 2019年、東京高裁は再審請求を棄却。弁護団は異議申し立てを行ったが、2022年に異議申し立ても棄却。この棄却決定について最高裁に特別抗告を行ったが、2024年4月15日、特別抗告も棄却された。 刑事訴訟法により、再審を開始するためには、無罪や刑罰の軽減を主張するための証拠を新たに提出する必要がある。 特別抗告とは、憲法違反があることを理由に行われるもの。第二次再審請求の特別抗告について、最高裁は「本件に憲法違反はなく、単なる法令違反や事実誤認の主張に過ぎないので、抗告理由に当たらない」として棄却した。 この際、最高裁は証拠について判断を示さなかった。刑事訴訟法上、裁判所による判断がされていない証拠は「新証拠」として扱うことができるため、第二次で提出したものと同じ証拠を第三次で提出することが可能になる。 具体的には、事件当日の車両の写真や、車両に関する技術士による意見書・説明書、竹内氏の供述に関する心理学者による鑑定意見書などが、第二次から引き続き提出。加えて、事件当時の車両の状態について技術士が新たに検討した内容なども提出される。