引退貴景勝が無念の思い「横綱の景色見たかった」自らピリオド 今後は親方として令和の横綱育成
<大相撲秋場所>◇14日目◇21日◇東京・両国国技館 元大関の関脇貴景勝(28=常盤山)が21日、東京・両国国技館で引退会見に臨んだ。10年間の現役生活を終え「悔いは全くない。燃え尽きた。素晴らしい相撲人生だった」とすがすがしい表情で振り返った。175センチの体格で突き、押しを武器に土俵を沸かせた。一方で、その豪快なスタイルから首には大きな負担がかかり、今年だけで休場は4場所。先場所後には大関から陥落した。今場所は3日目から休場し、11日目に師匠の常盤山親方(元小結隆三杉)へ「引退します」と伝えた。決断に至った経緯や、届かなかった横綱への思い、年寄「湊川」を襲名してからの夢などを語った。【飯岡大暉】 ◆引退経緯 「間違った世界に来てしまった」。紫色のはかま姿で、約10年前を振り返った。14年秋場所で初土俵。当時身長173センチの新弟子は、支度部屋で幕内力士の体格に衝撃を受けた。同時に覚悟を決めた。「相手と同じ相撲を取ったら勝てない。とにかく突き、押し。それが自分の生きる道」。初志貫徹。引退に至るまで頭から当たるスタイルを貫いた。首には大きな負担がかかったが「つらいという感覚はなかった。ケガも合わせて自分の実力。力を出せなかったら終わり」。現役時代同様、引退の理由にも言い訳は一切なかった。 ◆横綱 「横綱になることだけ夢見て頑張ってきた」。9歳で相撲を始めた時に父一哉さんと結んだ約束。大関までは順調だった。19年春場所後、年6場所制の58年以降では9位の“年少”記録となる22歳7カ月22日で昇進。大関では魁皇の5度に続き、2番に多い4度の優勝を飾った。30場所在位し、綱とりには3度挑んだが、その壁は高かった。それでも「やるべきことは全てやった。手をいっぱい伸ばしたが、届かなかった」。もちろん無念の思いもあり、「横綱の景色を見たかった」と明かしたが「横綱を目指す体力と気力がなくなった」と正面から受け止め、自らピリオドを打った。 ◆親方業 「武士道精神を持った昭和の僕が、根性と気合を持った力士を育てたい」。引退後は、若手育成に心血を注ぐ。「相撲のスタイルは個人で向き不向きがある」と突き、押しなど技術を教えるのではない。「今の時代には少し不向きかも」としつつも、昭和の先輩たちから引き継いだ精神を継承していく。育成力には、師匠からも「若い力士を強くさせる気持ちが強い。ゲキを飛ばす言葉も良い」と太鼓判。年寄「湊川」を襲名する平成生まれの“昭和男”は、常盤山部屋の部屋付き親方として令和の横綱を育てる。 ◆貴景勝貴信(たかけいしょう・たかのぶ)本名・佐藤貴信。1996年(平8)8月5日、兵庫・芦屋市生まれ。4歳から極真空手を始め、小3で全国大会準優勝。小4から相撲を始め、埼玉栄高で全国7冠。20年11月に元大関北天佑の次女で元モデルの有希奈さんと結婚し1男。幕内優勝4回、通算441勝254敗116休。175センチ、165キロ。血液型O。 ▼貴景勝と盟友だった大栄翔 (連絡は)昨日あった。本当にお疲れさまというところ。やりきっていると思う。自分から見ても人より努力していた。 ▼勝ち越した琴桜 (埼玉栄の先輩、貴景勝の引退に)高校時代は同じ場所でけいこして、大相撲の土俵で戦えて、うれしかった。残念というか寂しい。 ▼翠富士(貴景勝には5戦全敗) 最終的に1度も勝てずに終わった。ずっとトップを走ってきた力士なので引退は寂しい。