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[寄稿]再び平和を語る

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ハンギョレ新聞

平和が自制と妥協なら、傲慢と独善は平和の最大の障害だ。相手の平和なしには自分の平和もないということに背を向ける二分法的な短見が懸念されるのはこのためだ。平和を望むなら、平和を準備しなければならない。戦争ばかりを準備していては真の平和を得ることはできないからだ。  朝鮮戦争70年。未だ終わっていない悲しい戦争だ。人間で言えば古希を迎える、恐らく世界で最も長いこの戦争に、我々はまだ出口を見出せないでいる。2018年に奇跡のように訪れた平和への期待は、2019年のハノイでの挫折とともに蜃気楼となったかのようである。  平和とは何だろうか。戦争の不在も平和という。しかし軍事的抑止と休戦協定で得られる平和は、いつでも戦争が再発し得る最小限の「消極的平和」にすぎない。構造的な原因を取り除くことによってのみ、本当の意味での持続可能な「積極的平和」を実現することができる。  ローマの戦略家ウェゲティウスは「平和を望むなら戦争に備えよ」という警句を残した。しかし、平和のための戦争準備は、容易に軍備増強と強圧外交の悪循環につながる。現実主義者のヘンリー・キッシンジャーは自身の著書『回復された世界平和』でこのように主張する。「戦争の論理は力であり、力は本質的に限界がない。平和の論理は比例であり、比例とはすなわち制限を意味する。戦争の成功は勝利であり、平和の成功は安定である。勝利の条件は専念であり、安定の条件は自制だ」。平和は強圧と屈服ではなく、自制と妥協の産物だという洞察だ。  今日、平和を語る多くの人々は自制と妥協を忘れている。未来の大きな平和のために、今日の小さくて不安な平和は犠牲にならなければならないと簡単に言う。現在の不安を解決しようとする努力は、戦争を恐れて屈従的な妥協をする敗北主義に過ぎないと貶める。未来のより大きな人命損失を防ぐため、今のわずかな損失は覚悟しなければならないという功利主義的な戦争観すら目につく。しかし、小さくて不安な平和の過程を経ずに、どうして大きくて持続可能な未来の平和が得られようか。大小を問わず今日と明日の人命を守ることこそ平和の本質だ。  6月29日付の朝鮮日報のコラムで朝鮮半島未来フォーラムのチョン・ヨンウ理事長は「核武装した北朝鮮との平和とは、北朝鮮の核の人質状態で、人質犯である北朝鮮が恣意的に条件を決める平和」と書いた。そんなものは「屈辱的平和、奴隷的平和」にすぎないと。誰が北朝鮮の核武装を容認しようと言ったというのか。現政権は発足後つねに、北朝鮮の非核化なしには朝鮮半島の平和もありえないという前提の下、非核化と平和体制構築を並行して推進してきた。ハノイ会談の決裂以降は、北朝鮮側が寧辺(ヨンビョン)と東倉里(トンチャンニ)の核・ミサイル施設を完全に、永久に廃棄するとともに、米国はこれに相応する部分的制裁緩和に踏み切るという初期措置を通じて信頼を構築し、双方の協議を通じて包括的ロードマップを作成し、段階的に「行動対行動」の原則に則って検証可能な方式で非核化を実現しようという代案を提示してきた。  北朝鮮の核が韓国にとって脅威なら、圧倒的な韓米連合戦力と拡張抑止、米国の核能力に戦々恐々としているのはむしろ平壌(ピョンヤン)だ。人質としての屈辱的平和を容認していたなら、文在寅(ムン・ジェイン)政権は国防費を年間8%ずつ増額する必要も、先端戦力を獲得する必要も、韓米同盟と拡張抑止戦略に執着する必要もなかったはずだ。恐怖の大きさを計算するなら、北朝鮮のそれが韓国のそれより小さいはずはない。相手の恐怖を認めず、自分の恐怖ばかりを強調している間は、自制と妥協が可能であるはずがない。  ジョン・ボルトン氏をはじめとする米国の強硬派は、平壌に核と経済発展の中から一つだけを選択するよう強要すべきだと主張する。しかし安全保障に対する懸念が解消されなければ、平壌が「まず非核化、後に補償」を受け入れるはずはない。強圧外交で平壌を追いつめて動かなければ、軍事行動も辞さないというボルトン流の考え方は、平和への道ではなく戦争への道にすぎない。このような論理に基づいて、北朝鮮との関係改善なき一方的な韓米協力だけを追求すれば、遂には韓国外交は足場を失うことになるだろう。  「平和経済」は「核さえ放棄すれば豊かに暮らせるようにしてやる」という誘惑ではない。経済協力を通じて、互いが互いにとって必要不可欠な存在になることによってこそ、各自の安全が保障されるという信頼だ。このような未来の方が説得力があると信じた時に初めて、平壌は核を放棄することができるだろう。よって、大小の国際的制約の中にあっても南北関係を改善することこそ、むしろ北朝鮮を非核化へと導くレバレッジを強化できるのであり、これを通じて米国に対するレバレッジもより大きくなるのだ。  平和が自制と妥協なら、傲慢と独善は平和の最大の障害だ。相手の平和なしには自分の平和もないということに背を向ける二分法的な短見が懸念されるのはこのためだ。平和を望むなら、平和を準備しなければならない。戦争ばかりを準備していては真の平和を得ることはできないからだ。 ムン・ジョンイン 延世大学名誉特任教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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