Jでも日本代表でも…「涙流した記憶ない」 現役時代に泣いていたら「写真をぜひ」【前園真聖コラム】
「試合が終わった瞬間から次の試合の準備」で涙を流す暇はなかった
こうやって思い出してみるとJリーグでうれし泣きや悔し泣きをした思い出はありませんね。そうなると、僕が現役時代に涙を流したのは1996年3月24日、この年に開催されたアトランタ五輪への出場をかけたアジア最終予選準決勝のサウジアラビア戦だったと思います。 あの時は28年ぶりの五輪出場がかかっているというシチュエーションでしたし、1993年に日本代表が「ドーハの悲劇」でワールドカップ出場を逃したあとだったので、自分たちが世界大会への道を拓かなければならないという使命感もありました。 前半に1点を奪い、後半さらに1ゴールを追加したのですが、サウジアラビアも粘りを見せて1点返してきて、最後は必死で守っていました。そんな苦しい試合に勝った時に、涙が出てきたと思います。背負っていたものが大きかったですからね。 と、ここまで書いて、もう一度あの時を思い出してみました。試合が終わったあとのことで、覚えているのはすべてを出し切ったという気持ちでした。疲れ果てていたというのもあったかもしれませんが、いろんな感情が湧かないくらいだったと思います。 涙を流した、という明確な記憶はありません。もしかしたら泣いていないかもしれません。そういえば、最終予選決勝の韓国戦が3日後にありましたから、もうそっちに意識が向いていた気もします。決勝で負けてしまったので、そこでも涙は流していません。 もしかすると僕は現役時代に涙を流したことはなかったのかもしれません。そういうシチュエーションになったことがない、というのもあるでしょう。そして現役時代は「試合が終わった瞬間から次の試合の準備が始まる」という生活でしたから、涙を流す暇はなかったのではないかと思います。 ということで、明確に思い出せないので、僕は現役時代に涙しなかったということを結論にしたいと思います。もし僕が泣いている写真をお持ちの方はぜひお知らせください。 [プロフィール] 前園真聖(まえぞの・まさきよ)/1973年生まれ、鹿児島県出身。92年に鹿児島実業高校からJリーグ・横浜フリューゲルスに入団。96年のアトランタ五輪では、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」などをチームのキャプテンとして演出した。その後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)、湘南ベルマーレの国内クラブに加え、ブラジルのサントスFCとゴイアスEC、韓国の安養LGチータースと仁川ユナイテッドの海外クラブでもプレーし、2005年5月19日に現役引退を表明。セカンドキャリアでは解説者としてメディアなどで活動しながら、「ZONOサッカースクール」を主催し、普及活動を行う。09年にはラモス瑠偉監督率いるビーチサッカー日本代表に招集されて現役復帰。同年11月に開催されたUAEドバイでのワールドカップ(W杯)において、チームのベスト8に貢献した。
前園真聖 / Maezono Masakiyo