Jでも日本代表でも…「涙流した記憶ない」 現役時代に泣いていたら「写真をぜひ」【前園真聖コラム】
「Jリーグでうれし泣きや悔し泣きをした思い出はありません」
2024年のJリーグはJ1リーグ最終節をもってすべての日程を終了した。今年もさまざまなカテゴリーで悲喜こもごものドラマが生まれている。長く望んできた昇格を果たして流すうれし涙、覚悟はしていたものの降格が決まっての悲しい涙など、この時期はどうしても湿っぽくなってしまう。元日本代表の前園真聖氏は現役時代、どんな涙を流したのか。前園氏はいろいろ悩みながら思い出してくれたが、その結論は意外なものだった。(取材・構成=森雅史) 【写真】元日本代表MF、ジダン&フィーゴからの“両挟みシーン”「日本人選手の1番天才」 ◇ ◇ ◇ 2024年のJリーグもさまざまなドラマを生みました。今年は全カテゴリーが20チーム構成になり、J1リーグの優勝争い、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)出場圏争い、昇格争いやプレーオフ圏の争い、さらにはプレーオフと、J3とJFLの入れ替え戦までありました。 優勝や昇格を決めたチームの選手やスタッフ、ファン・サポーターの人たちが涙を流しているのを見ると心が洗われるような気がしますし、プレーオフ圏に入れなかったり、プレーオフで敗れたり、あるいは降格してしまったチームの涙を見ると胸が締め付けられる思いがします。 そう言えば自分も……と思って、Jリーグでの経験を思い出してみました。確かに苦しかったことはいくつかありました……。だけど、よく考えたら苦しいことが起きても、僕はその条件の中でどう前に進まなければいけないかを考えていたと思います。 起きたことを嘆いているだけでは何も解決しないので、とにかくどうすればいいかだけを考えていました。試合に出られなかったときも、怪我をした時も、どうすればその状況から抜け出せるかを見つけようとしていました。 あと、残念ながら僕はJリーグの優勝争いに絡んだことがありません。横浜フリューゲルス時代は1993年のJリーグ開幕年は両ステージとも7位、1994年はファーストステージで一時、2位まで上がりましたが結局は5位。セカンドステージでは8位でした。 1995年は第1ステージで14チーム中13位に沈み、セカンドステージはやや持ち直して11位。1シーズン制だった1996年は前半戦を終えて首位だったのですが、最後は3位になってしまいました。1997年に移籍したヴェルディ川崎はクラブ変革の時期と重なって多くの選手がチームを離れており、1999年のファーストステージでは2位になりましたが、セカンドステージで10位に沈み、結局チャンピオンシップには出られませんでした。 2000年にプレーした当時J2リーグだった湘南ベルマーレは8位。2001年から2002年に戻った東京ヴェルディでは2001年に足首を骨折してしまったのでプレーできませんでしたし、2002年もリハビリに明け暮れる日々が続いていました。