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爆笑問題 太田光──笑えない事を「笑い事」に変える【GQ JAPAN連載特集:希望へ、伝言】

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GQ JAPAN

──あなたの現在の日常について教えて下さい。コロナ問題以前と変わったこと、新しい習慣、仕事や家族との向き合い方、その他この期間に考えたことなど、どんなことでも構いません。

我々はいつもと変わらない。デビューしたのが1988年。昭和の終わり平成の直前で、自粛ムード一色だった。漫才師の出る幕はなかった。しばらくしてバラエティが復活し、我々も売れはじめた頃、事務所を辞め、自発的自粛期間に入る。3年ほど自粛した。漫才のネタだけ作って月1回披露するだけだった。 タイタンを作り、コンテスト番組で優勝し、ようやくテレビに出られるようになり、さあ、これから。というとき、阪神淡路大震災が起きた。その日も家で田中とネタづくりをしていた。やはりバラエティはなくなり、その数カ月後、地下鉄サリン事件。その年は、ふたつの大きな事件をどうネタにするかばかり考え、漫才をして過ごした。 東日本大震災のときは、自分達が司会の配信番組の収録中だった。テレビに出られない芸人を集めたゴングショーのような番組で、出演者は売れる前の古坂大魔王、一部ファンにマニアックな人気があったマキタ・スポーツ、ユリオカ超特急など。突然揺れ、スタジオの天井が崩れ皆で外へ避難した。都内の公園に人が集まり、第二波の揺れが来ると近くの首都高が波のように揺れ、恐怖を感じたが、さっそくマキタがギターを弾き、9・11後のセントラルパークで誰ともなく歌われたという『レット・イット・ビー』だったか『イマジン』だったかを歌い始めたので、「お前は顔が売れてないからいいけど、俺まで不謹慎だと思われるから近くに来るな!」と、言ったのをおぼえている。古坂に「テレビに出られない芸人として収録してる番組もこうしてなくなるんだから、お前達はよっぽどツイてないんだ。一生テレビには出られないよ」と、言って笑った。バラエティは無くなり、しばらく自粛が続いた。我々は地震をネタに漫才を作った。 今、世界中でピコ太郎の手洗い動画が観られていることをテレビが報じている。何百万回と再生されているそうだ。マキタも売れ、ユリオカは相変わらずだ。 我々芸人は皆常に「シリアスな出来事」をどう「笑い事」にするかしか考えてない。 今回も変わらない。いつも通り笑い事を探している。

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