浅田真央の電撃引退は何が引き金か
復帰2シーズン目となる今季は、開幕前から左膝への不安を抱え、前哨戦のフィンランド杯、GPシリーズのアメリカ杯、フランス杯と、3試合で自身の象徴であるトリプルアクセルは封印した。アメリカ杯は6位、フランス杯もショートで8位と出遅れると、逆転を狙ったフリーでは、トリプルルッツ、サルコー、フリップという3つの3回転ジャンプが、すべてダウングレードの2回転に終わって技術点を大きく失い、自己ワーストとなる9位。真央自身、「自信がすべて失われました」と大粒の涙を流すほどショッキングな惨敗となり、出場が危ぶまれた全日本では、ショートでトリプルアクセルがシングルに終わり、フリーでもトリプルアクセルに転倒、3回転サルコーでも転倒するなど無残な内容で12位に終わり世界選手権の出場を逃していた。 故障をひきずって思ったような練習、準備を積めず、武器であるトリプルアクセルを安定させることも、苦手な3回転ルッツを克服するようなトレーニングもできなかった。ただでさえ完璧主義者の浅田は、心身共に自信を喪失した。故障の回復が遅れたのには、トリプルアクセルという大技の肉体への負担と年齢からくる体力のバランスの崩れもあったのかもしれない。 本来ならば、この時期から平昌五輪に向けての勝負のプログラムを作っておかねばならなかったが、肉体と精神の回復に手ごたえを感じることができずに、しかも、3枠から2枠に平昌五輪の出場枠が減ったこともあって、モチベーションを高めて五輪出場をかけるシーズンへ踏み出すことができなかったのだろう。 また先の世界選手権では優勝したロシアの絶対女王、 エフゲーニャ・メドベージェワ(17)を筆頭に上位3人が、210点を超えた。3回転+3回転を軸に、プログラムコンポーネンツの中身が進化していて、表彰台に上がるにはミスは許されないほど高度なレベルとなっている。心身共に充実していなければ、とても世界で勝負できないという現状を浅田自身も深く受け止めたのかもしれなかった。 浅田は、引退発表のブログを「このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました」と結んだ。 復帰後の結末は、ハッピーエンドとはいかなかったが、この2シーズンの勇気あるチャレンジは賞賛されるべきものだろう。伝説のスケーターとして、その名を女子フィギュア界に残したことは間違いない。