『災害ユートピア』著者が読み解くコロナ後の“希望”─災害は常識をくつがえし、不可能を可能にする
「マンスプレイニング」という言葉が生まれるきっかけとなった著書『説教したがる男たち』で知られる米エッセイスト、レベッカ・ソルニット。彼女は2009年の著作『災害ユートピア』で、大きな災害のあとには人々が互いに助け合う束の間の「ユートピア」が出現すると指摘した。そのソルニットは、コロナ後の世界にどのような希望を見出しているのか。英紙に寄稿したエッセイを全訳でお届けする。
災害は常識をくつがえし、不可能を可能にする
災害は急にやってきて、いつまでも終わらない。未来は、過去とは決定的に違うものになる。 この国の経済、優先事項、認識、すべて2020年のはじめとは違っている。具体的な事例に驚くが、ゼネラル・エレクトリックやフォードといった企業が人工呼吸器の生産を開始し、防護服の争奪戦が起きている。 活気のあった街路は静まり返ってひと気がなく、経済は急降下。あって当たり前のものがなくなり、不可能だと思われていたもの──労働者の権利と利益の拡充、捕虜の解放、米国の2、3兆ドルの支援金──が、実現した。 「crisis」(危機、病気の峠)という言葉は、医学用語では患者が回復するか、死にいたるかの岐路を意味する。「emergency」(緊急事態)は「emergence」(出現)や「emerge」(現れる)からの派生語で、家族から追い出され、至急、新しい環境に順応しなければならなくなったイメージ。「catastrophe」(大惨事、大災害)は、突然の転覆という語に由来する。 私たちは岐路に立っている。正常だと思っていたところから放り出され、すべてが急にひっくり返った。いま、私たちがすべきことは──とくに病気ではなく、最前線で働いておらず、経済的な困難に直面していないのであれば──この時期に求められることは何か、できることは何かを考えること。 「災害」は(不運とか、星回りが悪いというのが元々の意味)、この世界と私たちの世界観を変えた。生活の中心が変わり、優先事項が変わった。 新たなプレッシャーのもとで脆弱なものは壊れ、強靭なものは持ちこたえ、隠蔽されていたものが明るみになった。変化には可能性があるだけでなく、変化に押し流されもする。優先事項が変われば、自分自身も変わる。死ぬかもしれないという危機感が、自分の生活や命の尊さに目覚めさせる。 学校の友だちや同僚と会えず、新しい現実を見知らぬ他人とシェアしているうちに「自分」の定義すら変わるかもしれない。自我は、自分を取り巻く世界によってもたらされ、たった今、私たちは違うバージョンの自分に気づく。