「カルビー公園」の愛称なぜ? 広島市南区の宇品西公園
放課後、子どもたちの歓声が響く広島市南区の宇品西公園。地元の住民は「カルビー公園」と呼んでいる。周囲に菓子製造のカルビー(東京)の建物や看板は見当たらない。愛称の由来を探ってみた。 【地図】カルビー公園【写真】2006年まで操業したカルビーの旧広島工場 約9600平方メートルある公園南隣の市郷土資料館によると、一帯は戦前、旧陸軍糧秣支廠(りょうまつししょう)だった。現在の公園がある場所は1946年に缶詰製造会社が置かれ、77年まで生産を続けた。その後、土地と建物を国から借りた広島市が86年、公園として整備した。 この北隣にあったのが、49年に本社と工場を構えたカルビーの前身となる松尾糧食工業だ。社名は55年にカルビー製菓、73年にカルビーとなった。工場は2006年に廿日市市で広島工場(現広島みやじま工場)が操業するまで使われ、翌年解体された。 工場と公園が併存したのは約20年間。資料館の玉置和弘主任学芸員は「菓子工場は子どもにとって身近で、隣の公園の愛称として定着したのだろう」と見立てる。 多くの子どもを笑顔にする商品を生み出した工場が移転して20年近く。今も愛称で呼ばれることにカルビーは「大変うれしい」とし、今後も地域に親しまれることを願っている。
中国新聞社