阪神ドラ1・佐藤輝明の小学生時代は? 同級生が明かす素顔
懐かしの母校のグラウンドで
阪神のドライチ・佐藤輝明が背番号「8」のタテジマ姿で向かったのは、懐かしい母校のグラウンドだった。小学校時代に所属していた野球チーム『甲東ブルーサンダース』(以下、ブルサン)主催の壮行会に出席したのだ。12月12日、土曜日の夕方。西宮市立甲東小の運動場には現役選手、OB、保護者、指導者などチーム関係者が多数集まり、卒団生初のプロ野球選手誕生を祝福した。 子どもたちは『六甲おろし』と得点チャンスで歌われるヒッティングマーチ『チャンス襲来』を大合唱して憧れの先輩にエール。佐藤からは「(ブルサンの)青いユニフォームを着ていた者として後輩たちにも頑張ってほしいし、僕も目標とされる選手になっていきたい。野球を楽しんで頑張ってください」というメッセージとサインボールなどが贈られた。 佐藤はブルサンの18期生。チームを初の県大会に導いた代で、同級生には高校で甲子園出場を果たした選手が2人もいる(創志学園高・野川悟、明石商高・西川賢登)。そして、佐藤はプロに! 1学年10名ほどというから、逸材揃いだったわけだ。 壮行会には一緒に汗を流した同級生や後輩たちも集まった。控室で久しぶりに顔を合わせた元チームメートからは、繰り返し「デカッ!」という言葉が聞かれたが、佐藤が大きくなったのは体だけではない。ドラフト1位指名で4球団が競合したほどの、まさに“大物”。そんな佐藤は仲間たちの目にどう映っていたのか。同期の主将・野川悟さんと副主将・長尾亮さんにうかがった。
――小学生の頃の佐藤選手はどんな印象? 野川・長尾 かなりマイペースでしたね。 ――野球選手としては? 野川 肩が強くて、足も速くて、ホームランを打てる選手でした。 長尾 近くにある結構広い公園で練習していたんですけど、高いフェンスを軽々と越えていました。力じゃなくてセンスで打っていた気がします。 ――キャッチャーとしては? 野川 ちょうどWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が優勝した年で、ミットは城島(城島健司)モデルだったし、座ったままスローイングしたりしていました。 長尾 カッコつけたがるタイプでしたね(笑)。 野川 そうそう(笑)。 ――中学、高校時代はほぼ無名だった佐藤選手が近大で開花。どのように見ていた? 長尾 あれくらいはやるだろうと思っていました。高校の途中から体が大きくなっていましたし。テルの部屋に行ったら勉強机を捨ててベンチプレスが置いてありましたからね。 野川 野球では無名の高校(仁川学院)に行ったし、僕は岡山の高校に行ってテルが大きくなったのも知らなかったので、正直、野球は高校までなんだろうなと思っていました。大学2年でジャパンに選ばれたときは、プロに行くだろうなと思いましたけど。 ――ドラフト1位で4球団が競合。 長尾 すごいとしか言いようがないですね。 野川 ドラフトの日はスポーツバーに集まって同級生みんなで見ていたんですけど、阪神ファンが多いから拍手喝采でしたよ。 ――佐藤選手にメッセージを。 野川 ファン目線では四番を打って優勝に貢献してほしいですね。1年目は打率2割7分、ホームランは最低でも20本! ただ、僕らと会ったときは素顔を見せてほしいですね。 長尾 マイペースなテルをな。1年目からレギュラーを取ってクリーンアップを打ってほしいですね。ホームランは40本! 佐藤にとってブルサンは「野球の楽しさを学んだ場所」。応援してくれる仲間や後輩たちに感謝の気持ちを伝えるためにも、1年目から大暴れするつもりだ。 取材・写真=岡部充代
週刊ベースボール