南海・大沢啓二の「涙の背番号15事件」/週べ回顧1972年編
一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
大胆なポジショニングでも知られた大沢
今回は『1972年4月17日号』。定価は100円。 連載「ベースボールアニマル」でロッテの若親分・大沢啓二監督が取り上げられていた。 大沢は南海での現役時代、黒沢明監督の映画「用心棒」を見て、こう思ったという。 「(主演の)三船敏郎は背中で演技した。あれが本当のプロフェッショナルかもしれない」 そして、これが大沢のトリックプレー、 「泣いている背番号15事件」 に結びついたというのだ(このコラムの著者は近藤唯之氏)。 “事件”は大阪球場の南海─東映戦で起こった。 東映・山本八郎の中前打。これがツーバウンドで大沢の前に飛んだ。 打った山本は一塁ベースの2メートルほど手前で、観客のどよめきを聞き、目をやると、大沢が背中の15を見せている。「トンネルしたな」と思った山本の目には、背番号15は泣いているように見えたという。 そこから一気に二塁へ向かったが……そこで悠々アウトになった。 実は大沢、ボールをキャッチした後、そのまま背走。少しして走者が一塁を回ったのを確認して二塁に投げてアウトにしたのだ。 ほかにも西鉄戦で右翼を守った際、中西太の猛烈な当たりが来た。大沢は、これを捕球姿勢でゆっくりと追い、打った瞬間は「三塁打」と思った中西は「捕られた」と思い、走りを緩めた。 実際にはフェンス直撃。中西はあわてて全力疾走したが、二塁にも行くことができなかったという。 大沢は独自のデータや勘によって、大胆なポジショニングをする外野手としても有名だった。 在日米記者ベーブ・ハットマンがコラムで野球のメジャーと違う和製英語について書いていた。 まずは大洋に入ったボイヤーが「アメリカでゴールデン・グラブ賞を受賞」とNHKで放送していたことについて、「アメリカにはローリングス社がスポンサーになっているゴールド・グラブ賞しかない」。ほかダブルヘッダーについては「ダブルヘッダー・ゲームズ、略してもダブルヘッダーズ」ともあった。 さらにメジャーの選手たちの呼び方について、実際の読み方とあまりに違うと嘆いている。 では、またあした。 <次回に続く> 写真=BBM
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