【オリックス】ドラフト3位・18歳来田が母から聞いた被災の経験 「いろいろな方の支えに感謝」
オリックスは阪神・淡路大震災から26年となった17日の正午、大阪市此花区の球団施設オセアンバファローズスタジアム舞洲で黙とうした。湊通夫球団社長、福良淳一ゼネラルマネジャーほか選手、スタッフら約60人が神戸方面に向かって、6000人を超えた犠牲者に祈りをささげた。東京に自宅のある中嶋聡監督は緊急事態宣言中のため移動を自粛し、出席を控えた。 神戸市出身のドラフト3位ルーキー、来田涼斗内野手(18)=明石商高=は震災後の生まれながら、甚大な被害を受けた神戸市長田区生まれの母から被災の体験を聞いて育った。「震災はひどかった、ビルが崩れ落ちたり本当に悲惨だったと聞いた」。来田は幼稚園のときに高速道路が崩れ落ちて、バスがかろうじて落下を免れている光景のビデオなどを見てきた。 「母からは、いろいろな方の支えがあって神戸の街がここまで復興してきたと聞いた。野球をしていくうえでも、いろいろな方に支えてもらってプレーできるという感謝の気持ちを持ってやってきたいと思います」と、あらためて震災の日に誓った。 震災前に生まれたルーキーはドラフト6位の阿部翔太投手(28)=日本生命=だけ。大阪市の出身で、震災が起こったときは2歳。小児ぜんそくのため大阪府岸和田市の病院に入院していたという。 当時の記憶はないが、テレビで映像を見たりして「(被害が)すごかったんだろうなと思う」と想像する。その後、オリックスが優勝したそのシーズンの映像などにも触れてきた。「あの映像を見る限り、誰かのために戦う、勇気を与えるために戦うといったときは強いんだなと感じている。こうやってプロになったからにはファンの方に応援してもらわないといけないですし、そういう方に勇気を与えられるような選手になりたいと思ってやることが、技術的にも向上できると思う。そういった気持ちが大切だと思っています」と話した。
中日スポーツ