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東京五輪、年内開催の望みはこうして断たれた──2021年の復活目指し

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The Guardian

【記者:Sean Ingle】  他のスポーツの試合や大会と同様に、東京五輪が延期された。今になってみれば非常識な話に聞こえるが、主催関係者らはわずか数週間前、危なげながらも2020年大会開催への道のりをまだ見ることができていた。  日本や中国は新型コロナウイルス大流行のピークを越えたように見えていたし、欧州のほとんどの地域はまだ移動を制限されていなかった。そのため、このまま押し進め、時を待ち、希望を持とうという決意があった。  世界保健機関(WHO)がパンデミック(世界的な大流行)を宣言し、大規模なスポーツ大会が相次いで中止や延期となり、封鎖措置を取る国が増えてからでさえ、この希望の光は消えていなかった。穏やかな3月の朝、ギリシャのオリンピアで聖火が灯され、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、「代替案はない」と強調していた。  しかし3月17日、ほぼ誰も気付かなかった、ほとんど感知できないかすかな変化が起きた。先進7か国(G7)の指導者らと話した安倍晋三首相は、次のように発言した。「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証しとして、(東京五輪・パラリンピックを)完全な形で実現するということについてG7の支持を得た」  ほとんどの人にとって、この発言は当たり障りのないものだった。しかしIOCなど関係者にとっては、耳の痛い知らせだった。安倍首相が語ったことのせいではない。むしろ彼が語らなかったことのせいだ。安倍首相が、2020年7月に五輪を開催する、と言わなかったのは初めてだった。  世界最大のスポーツの祭典がいかにして1年延期となったかを知る複数の五輪関係筋によると、この瞬間から、五輪延期の決定は避けられないものとなった。  しかし五輪の延期に最も後ろ向きだったのは、実は日本だったようだ。バッハ会長はひそかに、しかし積極的に延期を支持していた。問題は東京五輪の組織委員会の同意がないと、IOCは動けないことだった。そして同意を得ることは、控えめに言っても単純な話ではなかった。  最大の難点は、日本が面目を失ったように見えてはいけないという点だった。2番目の問題として、東京の組織委員会は10月開催を押していた一方、バッハ会長は2021年でないと駄目だと考えていた。新型コロナウイルスの流行が秋までに収束する保証はどこにもないからだ。3番目の問題は、これを検討するために日本側が4週間の時間を求めたことだ。IOCは22日、しぶしぶこれを認めた。  しかしバッハ会長は、4週間の期限を前倒しさせるための手回しを怠らなかった。五輪を2021年に延期するよう最初に声を上げた中に、オーストラリアオリンピック委員会(AOC)がいたのは、偶然ではない。AOCのジョン・コーツ会長は、東京五輪の準備を監督するIOC調整委員会の委員長であり、またバッハ会長の親しい友人でもある。バッハ氏はもっと多くの交渉カードが必要だと分かっていた。コーツ氏は、バッハ氏の交渉カードの中でも最強の一つだった。  かつてIOCでマーケティング部門の責任者を務め、今も五輪と密接なつながりを持つマイケル・ペイン氏は、次のように説明する。「IOCは迅速な決定を下すよう、公式にも裏ルートでも明らかに大きな圧力をかけていた。引き伸ばすことによって、アスリートらとその準備にダメージを与えていると気付いたからだ」  安倍首相による24日の延期「提案」にIOCが喜んだのはこのためだ。当然、バッハ会長はこれをすぐに受け入れた。なぜIOCは決断にそんなに時間がかかるのかという、アスリートらからのかつてなく厳しい批判を考えれば、当然だ。  陸上女子200メートルの世界チャンピオン、英国のディナ・アッシャースミス選手は、歯に衣を着せなかった。「それってつまり、アスリートは自分自身やコーチ、サポート・スタッフ、家族をリスクにさらしつつ、トレーニングをどう組むか模索しながらさらに4週間過ごさなきゃいけないってこと? 結局は延期されるのに」

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