観光船沈没から1か月「空白の1時間」救えたかもしれない|南方重視のつけ…”巡視船”4割が耐用年数超
「世界自然遺産の海」で知られる北海道知床沖で、観光船が沈没した事故から1か月がたった。死亡14人、行方不明12人の惨事はなぜ起きたのか? 関係者への取材を重ねると、この海域の救助体制の脆弱さが浮き彫りになった。浸水から沈没まで1時間以上あった可能性が高いうえ、救助要請を受けた海上保安庁の初動が遅れ、「空白」があったことも明らかになった。要因の一つは国の南方重視――。対中国シフトが「北の海」の海難救助を弱体化させていた。
朝“なぎ“だった知床の海 シーズン初日…「いつもの観光クルーズ」が急変
4月23日午前10時。斜里町のウトロ漁港は灰色の雲に覆われたが、海はなぎだった。気温10.3℃、波は0.3メートル。観光船運航会社「知床遊覧船」にとって、今シーズン初日だった。3隻あるうちの1隻、「KAZU1」(カズワン、19トン)は、北海道や福岡県などの乗客24人を乗せ、知床半島を往復する3時間のコースへ出航した。 KAZU1にとって「いつものクルーズ」のはずがだったが、午後に急変する。
「船長はテンパっていた」浸水し30度傾く…初めて明かされる“緊迫の無線“
午後1時10分。別な観光船運航会社で事務作業中だった男性が、緊迫した無線の声に気付いた。無線に対応した関係者が当時の状況を初めて明かす。 「船の名前を呼んで状況を聞くと『機関が浸水し、船が30度傾いている』と答えた。その時は無線もつながっていたので、『とりあえずなんでもいいから救命胴衣着させろ』と言った」
「『バッテリーも水に浸かっているから、無線機が使えなくなる』と叫んでいた」。声の主は豊田徳幸船長。明らかに焦っていた。「とにかくテンパっていた。周りの乗客の声は全然、なにも聞こえなかった」。 高波で観光船や漁船では救助に向かえない。集まった別の観光船会社の従業員や漁師が手分けして海上保安庁や関係機関に海難事故の発生を伝えた。
“注意報発令“の大荒れ予報…KAZU1だけ出航 同業者が忠告 専門家は「無謀」
出航時、穏やかに見えた知床沖だが、気象台は7時間前の午前3時9 分に強風注意報を出していた。午前9時42分には波浪注意報も追加した。夕方から夜遅くにかけては15メートルの風と、3メートルの波と予想され、港で働く人たちは「知床は大荒れになる」と知っていた。 別の観光船の船長はKAZU1の出航直前、豊田船長に忠告していた。「僕は(出航を)止めました。どんどん波が悪くなるからやめた方が良いぞと。船長は、『はい』とは言ったけど」。沖に出たのはKAZU1と同じ会社のもう1隻だけ。ほかの観光船や漁船は出航を見送った。海難事故に詳しい神戸大学大学院の若林伸和教授も「これだけの荒天が予想される中で出航したのは無謀と言わざるを得ない」と指摘する。