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レジェンドたちも惜しむ!日本テニスメーカーの重鎮・ブリヂストンスポーツの事業撤退が意味することとは

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VICTORY

日本でテニスを扱う代表的なメーカーの1つであるブリヂストンスポーツ株式会社(代表取締役社長・望月基氏)が、100%出資子会社であるブリヂストンスポーツセールスジャパン株式会社と共に展開するテニス事業から、2020年12月31日をもって撤退することを4月21日に発表した。 2020年3月18日に発表された官報決算データベースによると、ブリヂストンスポーツの2019年売上高(12月末決算)は201億9500万円(前年比0.02%+)。営業利益は、1億4000万円の赤字だったが、前年よりは約17億円赤字を縮小させている。その中で、ラケット、ボール、シューズなどのテニスギアをはじめ、パラディーゾのテニスウェア、ストリングやラケットなどのテクニファイバーブランド、それぞれの売上高や営業利益を、ブリヂストンスポーツの広報部へ問い合わせたものの、「詳細についてはお答えできません」という回答だった。 ブリヂストンスポーツは、1974年にテニス事業へ参入し(スポルディングブランドの販売)、1984年にブリヂストンブランドのテニス用品展開を開始した。1970年代後半から1980年代前半といえば、男子ではスウェーデンの貴公子といわれたビヨン・ボルグやアメリカの若き天才で悪童といわれたジョン・マッケンローが世界中でカリスマ的な人気を博し、さらに女子ではアメリカ若手美女選手でアイスドールといわれたクリス・エバートが人気で、日本にも第2次テニスブームが起こっていた時代だ。

■日本のレジェンドたちから惜しむ声

長年、日本のテニス市場を支えてきたブリヂストンだけに、現役時代のほとんどをブリヂストンと共に過ごした元プロテニスプレーヤーである福井烈氏は、今回の撤退を人一倍残念がる。福井氏は、全日本テニス選手権の男子シングルスで史上最多となる7回の優勝を誇るが、1985年と1988年は、ブリヂストン所属選手として優勝トロフィーを手にした。現在は、日本テニス協会専務理事であり、さらに日本オリンピック委員会専務理事で東京2020オリンピック日本選手団団長も務める福井氏だが、ブリヂストン主催のテニスクリニックには必ずといっていいほど参加し、テニス愛好者との交流を深めつつ、ブリヂストンのテニスギアの魅力を伝えている。 「日本を代表する企業でもあるブリヂストンが、テニスに参入するということだけで、テニスに携わるものとしてはワクワク感がありました。立ち上げから36年間、情熱を持った仲間たちと共に歩んで来たことは私にとっても誇りでもあり、歴史でもあります。私の肩書は、今でもプロテニスプレーヤーです。さまざまな団体の役職に就こうとも、今でもいちプレーヤーとして、テニスに向き合っているつもりでいます。参入当初、ブリヂストンは最新の技術を駆使し、当時はまだ珍しかったアプローチでのテニスギアの作製や、大会の開催など、アドバイザリーとして係る私自身も大きな刺激を受けました。テニスはグローバルなスポーツであり、変化が激しく一時代を築いたとの自負もあるブリヂストンでさえ、今の流れとは方向が違ってきてしまったのかと、今回の撤退は残念に思います」 また、神尾米さんは、1995年にオーストラリアンオープン、ウィンブルドン、USオープンそれぞれで3回戦に進出し、WTAランキング自己最高24位を記録した元プロテニスプレーヤーだが、まさにブリヂストンと共に世界の舞台で戦った。また、1994年全日本テニス選手権の女子シングルスで優勝した神尾さんだが、現在は、日本テニス協会常務理事でありながら後進育成に取り組んでおり、ブリヂストンへのあふれるほどの愛着があるだけに今回の撤退への落胆は大きい。 「私は残念というより寂しい気持ちが強いです。30年以上お世話になり、私の人生を今も支え続けてくれています。私にとっては家族のような存在です。その家族がバラバラになってしまうのは本当に寂しい。今から自分にできることはないか?考えてもなす術なく……。自分の無力さにがっくりしていますが、とにかくブリヂストンスポーツのテニス事業部の方々には、ありがとうございましたと心から伝えたいです」 神尾さんからは、走馬灯のようにブリヂストンと共に過ごした思い出が次々に甦る。 「納得いくまでラケットを何度も作ってくださったこと。試打した時、私の感想はいつも『何か振りにくい』、『何か違う』という曖昧な言葉ばかりでした。なのに、それをくみ取り、感じ取ってくださりながらラケットを作り続けてくれたのはさぞかし大変だったかと思います。皆さんに会えるブリヂストンのイベントが、年に1、2回ありましたが、いつも楽しみでしたし、大好きでした。テニスラケットのCMに使ってくれたのも思い出深いです。『勝負できます!』と何回言ったことか……。みんなで大笑いしながらCMを作りました。 ブリヂストンの皆さんはとにかくいつも温かく、たとえ私が負け続けても応援してくれました。テニスだけでなく、私の人生を応援してくれました。いつでも私を気にかけてくれ、アドバイスもたくさんしてくれ、今でも見守られています。だからこそ、こんな温かい家族と離れるのは心が痛いし、寂しい」

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