中江有里「私が選んだベスト5」(レビュー)
村山由佳『風よあらしよ』。明治、大正時代を生きた婦人解放運動家・伊藤野枝の短い生涯を描いた評伝小説。 大杉栄とともに惨殺されたことは知っていたが、歴史事象ではわからない野枝の「思想」は幼いころからあった。口減らしで養女に出され、好きな本も自由に読めなかった少女時代、生まれ落ちた家の運命から逃れようと叔父に送った陳情の手紙は、叔父の心と野枝の運命を動かした。 地元を出奔した後に身を寄せた辻潤と別れて、大杉栄と結びつく。時代と社会の荒波に逆らって素手で漕ぐような生き方は、男だけでなく、平塚らいてう、野上弥生子ら親しかった女にも批判された。本書は野枝の「思想」を丁寧に描き、彼女が目指した社会、そして大杉との対等な関係を浮かび上がらせる。今こそ野枝の「思想」が必要な時代だと感じる。
前作『月まで三キロ』に続き自然科学をテーマにした伊与原新『八月の銀の雪』。表題作は就活連敗中の理系大学生が主人公。他に子育てに自信が持てないシングルマザーを描いた「海へ還る日」、伝書バトと役者になる夢を諦めた会社員が登場する「アルノーと檸檬(レモン)」など、登場人物たちは現実に挫折し、悲観しながらなんとか生きている。 彼らが光を見出すのは自然科学に基づく事実、動物たちの生態だ。人間はシステム化した社会に生きているが、土台となるのはそんなシステムとは無縁の地球。私たちがゆるぎない自然の摂理の中で生きていることを実感する短編集。
2020年ほど美術館から遠ざかった年はなかった。その中で村田喜代子『偏愛ムラタ美術館 展開篇』は、文章で絵画を感じさせてくれた。 アンドリュー・ワイエスの章では「並外れて視力が強かったのではなかろうか」と著者は推理する。作品を読み解きながらその理由に迫っていくが、言われてみれば……そして見えすぎてしまう不幸に言及する。ワイエス作品に漂う寂寥感に説得力を与える。あとがきで「私は一枚の絵にのめり込むと、その中に入りたくなる」とあるが、一緒に絵の中に引きこまれて、鑑賞できる一冊。