陸上の為末大氏がJリーグ理事に就任。論客を招く狙いとは?
「打ち上げ花火や売名のために呼ぶような、失礼なことはしていません。公益法人の場合、理事会への出席率は厳しく求められます。そのあたりは、理事の方には腹を括ってもらって確約を取りました」 当時こう語っていた村井チェアマンは、あらかじめ2期4年と定めた社外理事を務め終えた有森さんらへ感謝するとともに、新たに招いた為末さんら3人の社外理事にも、厳しい意見を忌憚なく発言してほしいと期待を込めている。 「退任された4人の社外理事の方々には本当に侃々諤々と、いつもアグレッシブな発言をしていただきました。ただ、一人の方が長く社外理事を務めるよりは、インフルエンサーやオピニオンリーダーとしてどんどん社会へ出ていって、Jリーグの内側で見聞きしたことを社会へ発信してほしい。ある意味で社外理事の流動性も、Jリーグの発展につなげていきたいと思っています」 アスリートの社会貢献活動を展開する一般社団法人アスリート・ソサエティの代表理事を務め、スポーツ産業を発展させるためのプロジェクト『Deportare Partners』の代表としても活動している為末さんは、自身のツイッターの自己紹介欄にこう綴っている。 「人間を理解することをライフワークにしています。」 法政大学卒業後に入社した大阪ガスを2003年に退社。大企業に所属するアスリートがほとんどを占めるなかで、レースの賞金などで生計を立てる当時では稀有なプロ選手として活動を続け、2005年の世界陸上ヘルシンキ大会では4年ぶり2度目の銅メダルを手にした。 世界規模の大会の短距離種目でメダルを獲得したのは、実は為末さんが第1号となる。歴史を塗り替えただけでなく、五輪にもシドニー、アテネ、北京と3大会連続で出場した。 他の競技者とは異なる道を、すすんで歩んだ生き様だけではない。自身のツイッターやブログでいわゆる“炎上”することもあるなど、決して曲げることのなかった固い信念が、Jリーグの最高議決機関である理事会でもどんどん発信される光景を、村井チェアマンは早くも思い描いている。 「サッカーという狭いカテゴリーの中だけはなくて、今回の平昌冬季オリンピックでも新しい競技や種目がどんどん脚光を浴びる動きがあるスポーツ界全体と連携しながら、スポーツを通して社会へ何ができるのかといった、社会との連携に近いようなところでの発信も期待していきたいと思います」 活動するフィールドをいままでは無縁だったサッカー界にも広げる「侍ハードラー」が、どのような存在感を放っていくのか。月例理事会に出席する4月以降の言動から、目が離せなくなってきた。 (文責・藤江直人/スポーツライター)