「輪島復興」に立ち上がる若者たちの声を聞け――過疎高齢化の奥能登で、人を動かし旗振り役を務める勇者たち
河原もまた、震災の経験を糧に変えようとしている。高校卒業後は「災害に強く、人がつながりやすい街づくり」を学ぶため、大学で建築を勉強したいと言う。 「それぞれの街にあるものを生かすべき。全部、東京と同じになったら面白くない」と、自分だけでなく、故郷である能登のあるべき未来も見据えている。 復興という言葉は、被災地を生きる能登の多くの人にとってはまだ絵空事に響くだろう。それでも若い彼らの生きざまは希望であり、1つの答えでもある。杉野は言った。「最後には必ず復興しますから」と。(了) <10月5日追記> 9月21日~22日にかけて奥能登を襲った豪雨により、本記事で取材した輪島市には震災に追い打ちをかけるような被害が発生した。しかし、記事中で紹介した「ゲストハウス黒島」の杉野はすぐにゲストハウスを被災した方とボランティアに開放。「大雨の後、自分がどこを向いてがんばれば良いのかしばらく迷っていたが、ゲストハウスの本業を通して復興にも貢献していこうと決めた」と言う。 米農家に転身した山下が住む町野町は豪雨による被害が甚大で、彼が震災後に丹精込めて作り上げた田んぼも駄目になってしまった。しかし今、山下は町野復興プロジェクト実行委員会が運営する新たなボランティア拠点「まちなじボラセン」を立ち上げ、認定NPO法人カタリバのサポートの下でボランティアを募集し復旧活動に全力を挙げている。 豪雨の後も、彼らは歩みを止めていない。 ●「ゲストハウス黒島」はボランティアの宿泊受付中。輪島市内で宿泊できる場所は貴重だ。ゲストハウス運営のためのクラウドファンディングを実施している。 ●「まちなじボラセン」は、輪島市東部地区の ボランティア申し込みを絶賛受け付け中。町野、南志見、鵠巣の東部地区ではまだまだ人手が足りない状況だという。
小暮聡子(本誌記者)