「輪島復興」に立ち上がる若者たちの声を聞け――過疎高齢化の奥能登で、人を動かし旗振り役を務める勇者たち
<3.11の経験を能登につなぐ> 8月初め、宮城県気仙沼市で、地元の町づくり事業や子供たちの探究学習を支援する一般社団法人「まるオフィス」が能登の高校生たちを招いて2泊3日の「気仙沼キャンプ」を主催した。 まるオフィスは、13年前の東日本大震災を機に気仙沼に移住した若者と地元の若者が立ち上げたNPO。今回のキャンプを一緒に企画・運営したのは、復興に向かう気仙沼の町で生きてきた気仙沼出身の大学生たちだ。 石川県穴水町在住で、石川県立七尾高校に通う河原清二(17)も、このキャンプに参加した。その理由は「復興のために自分には何ができるんだろうって考えたときに、3.11で復興に携わった人たちに当時の経験を聞きたかったから」だ。 今年1月に家族と共に輪島で被災した河原は、避難所や関西の親戚宅を転々とした後、母と弟2人と穴水に引っ越した。父は輪島で働き、妹は大阪の中学に転校したので、今は家族が離れ離れだ。 13 年前に津波と火災で火の海と化し、その後復興した気仙沼で地元の人たちと交流した河原は、「13年たったらこういう感じになれるというイメージを持てた」と言う。 気仙沼出身の岩槻佳桜(19)は、東日本大震災後に自分が他者から受け取ってきたものを返したいという思いでキャンプを企画した。高校時代、地域と関わることの面白さを教えてくれたのが、まるオフィスの大人たちだった。 彼女が震災を経験したのは5歳のとき。自宅や家族は無事で、その後の復興の過程では「支援とか、何も分からないまま育ってしまった」。服や本や新しいおもちゃが、小学校の昇降口に段ボールで届く。「好きなものを持っていっていいよ」と言われるのが当たり前で、当時はそれが支援物資だと分からなかった。 岩槻は、そのときに「ありがとう」と言えなかった自分に「目を背けながら生きてきた」が、今なら何か人の役に立てるかもしれないと思って能登に来た。将来は気仙沼に戻って働きたいという彼女は今、東京の大学の夏休みを利用して輪島市で子供支援のボランティアをしている。