明治の地ビールを復刻、東京都日野市の「TOYODA BEER」はどんなビールか?
THE PAGE
今年7月、明治時代に東京都日野市で造られていた地ビールの復刻版が発売された。その名は「TOYODA BEER」。一体、明治時代の地ビールが何故、どういう経緯で復活することになったのだろうか。
新撰組ゆかりの地で生産されていた地ビール
天狗のイラストが描かれた栓を開け、やや小振りなビンを傾けると、グラスの中に琥珀色の液体が注ぎ込まれ、ほどなく香ばしい芳香が漂った。 「おだやかだけど、コクと薫りもしっかり備わっている。ビール好きの方には好評で、クラフトビールはちょっと、という方にもおいしいと評価していただいています」と説明するのは、今回のビール復刻に取り組んだ「TOYODA BEERプロジェクト」の増島清人実行委員長。 JR東京駅から約30数km西方、東京都の郊外にある日野市。緑豊かな丘陵地、湧水を含む台地、用水が張り巡らされた低地の合間を、多摩川と浅川が流れる。住宅地が多いが、工業用地や農地も混在。都心の騒々しさとはほど遠く、落ち着いた静かな街だ。 江戸時代は、甲州街道の宿場町だったが、歴史ファンには幕末に活躍した新撰組の土方歳三や井上源三郎の出身地というイメージが強いだろう。司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」など、新撰組が登場する小説やドラマでは、しばしば日野が舞台として登場する。 その土方が、函館で命を落としたのは明治2年(1869年)。豊田村(当時)でさまざまな事業を展開していた山口平太夫氏によって「山口ビール」が造られはじめたのは、それから17年後の明治19年(1886年)のことだった。 当時の日本は近代化にむけてまっしぐらだったが、日野においても養蚕業がさかんに行われた他、銀行や煉瓦工場が誕生。山口家によるビール生産は、こうした近代化の一翼を担うものだった。 山口ビールがいつまで生産されていたのか、現時点で定かではない。残された資料によると、少なくとも明治27年(1894年)までは生産されていたらしい。他社との競争が激化したのか、詳細は不明だがともかく山口ビールは歴史の舞台から姿を消した。