山川穂高は日本人選手史上6人目の「50本塁打」に到達できるか。広澤克実が語る偉業達成の条件
今シーズン、山川穂高(西武)が好調だ。ここまで(5月25日現在)パ・リーグ本塁打王争いダントツトップの15本塁打。オリックスのチーム本塁打数が17本ということを考えれば、この数字がいかに突出しているかがわかる。 【画像】セクシー&キュート!ライオンズの美女パフォーマーたち もともと山川は2018年47本、2019年43本と2年連続して本塁打王のタイトルを獲得している。それが一昨年、昨年とともに24本塁打。ケガの影響もあったが、山川らしい豪快な一撃は鳴りを潜めていた。 ここにきてややペースは落ちたとはいえ、3年ぶりの40本塁打はもちろん、2002年の松井秀喜(巨人)以来となる日本人選手史上6人目のシーズン50本塁打の期待も高まる。 日本人の50本塁打はわずか5人 これまで50本以上のホームランを放ってタイトルを獲得した日本人選手は5人しかいない。以下が50本塁打を達成した選手だ。 1950年 小鶴誠(松竹)51本1963年 野村克也(南海)52本1964年 王貞治(巨人)55本1973年 王貞治(巨人)51本1977年 王貞治(巨人)50本1985年 落合博満(ロッテ)52本1986年 落合博満(ロッテ)50本2002年 松井秀喜(巨人)50本 セ・パ2リーグに分立した1950年、小鶴誠(松竹)が日本人初となるシーズン50本を超える51本塁打を放った。その小鶴の記録を破ったのが、63年に52本塁打を放った野村克也(南海)だ。生前、野村は「現役時代の一番の思い出は、65年の三冠王ではなく、63年のシーズン52本塁打だった」と語っていた。 じつは、この話にはオチがあって、「50年の小鶴さんの51本を苦労して破った。10年くらいは日本記録だろうと思っていたら、翌年、王に簡単に抜かれてしまった」とガッカリしたという。 野村の記録をいとも簡単に破った王は、1964年、73年、77年と50本塁打以上を3度マークし、13年連続を含む、通算15回の本塁打王に輝いた。また、首位打者5回、打点王13回、うち三冠王2回(1973、74年)と圧倒的な存在として君臨した。