Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

阿川佐和子「恩返しのとき」

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
婦人公論.jp

阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。今回のテーマは、日本で最初の雑誌図書館「大宅壮一文庫」にまつわるお話です。 * * * * * * * 「パトロネージュ参加支援のお願い」と題した封書が届いたのは、2019年の夏のことである。差出人は「大宅壮一文庫」。 日本で最初の雑誌図書館として1971年に東京・世田谷区八幡山の住宅地の一角に創設された大宅壮一文庫が、経営難に陥って存続の危機に瀕している。明治時代からのおよそ1万2600種類の雑誌、80万冊を所蔵し、最盛期には月平均2300人の利用者を誇る人気の文庫だったが、インターネットの普及に伴い利用者の数が激減し、運営が難しくなっているという。 ついては個人や企業から寄付金を募って維持をはかろうと、新たな支援制度を始めることになった。是非とも呼びかけ人就任と寄付に協力いただきたいと、そんな主旨である。 これぐらいの歳(って、つまり高齢者所属)になると、さまざまな団体、協会などから「寄付」のお願いを受けることがある。どちら様も大変なのだろうと拝察しつつ、すべてのご期待に添うことはできない。ごめんなさいと失礼するか、あるいは微々たる金額で礼を尽くしたつもりになることはたびたびだ。が、こと大宅文庫となれば話は別である。 大宅文庫に私が今までどれほどお世話になってきたことか。この30年あまりの間、私の家に大宅文庫のコピー資料がなかった日は一日たりともない。 よし、奮発するぞ! かけ声は高らかに、結局、「微々たる」に少し追加したぐらいの金額を申込用紙に書き込んで返送した。

すると、年が明けて春、まさに新型コロナ騒動の渦中にて、再び大宅文庫からの連絡を受ける。今度はなんぞや。 「是非、大宅壮一文庫の評議員に就任してもらいたい」 じぇじぇ(古いか)。そもそも私は組織というところに勤めた経験が一度もない。個人事業主と言えば聞こえはいいが、つまり各所から依頼された仕事を受注して、働いた分だけの報酬を、そのときどきにいただいてきた。ちなみに雇い主の期待に添えなかったとき、次の仕事の受注はないものと覚悟する。そんな凹凸豊かな仕事のしかたをしてきた人間に、組織の安定運営や財政問題に関して助言するほどの能力はない。これは寄付以上に難題と受け止めた。が、大宅文庫となれば、無下には断れない雰囲気が漂う。 「うううううう」と、悩んでいるうちに、いつのまにか引き受けてしまった。 なぜそこまで私は大宅文庫に抵抗できないか。自分でも考えてみた。 まず、最初に記した通り、大宅文庫の資料なくして私のインタビュアー人生はなかったといって過言でないからだ。 『週刊文春』の対談連載を開始したのが1993年の4月である。対談相手のことを事前に勉強するため、編集部から山のような資料が送られてくる。ゲストの仕事内容によっては映像資料や音声資料、書籍なども入っているが、主たるものは記事資料である。かつてそのゲストが雑誌や新聞の取材を受け、どんな発言をしているか。それらを知っておくためには大宅文庫にお頼りするしかない。そんな古い雑誌記事をすべて保管しているところは大宅文庫以外にないのである。 こうして私は、大宅文庫のコピー資料に目を通し(目を通し切る前に深い眠りにつくこともあるが)、対談相手の来歴や考え方、趣味、スキャンダルなどを把握して、その上で当人にお会いする。 「かつて雑誌のインタビューでこんなことをおっしゃっていましたね」 「デビュー当時と考え方が変わりましたか」 こんな鋭い質問がいつもスルスル出てくるわけではないけれど、インタビュアーにとっては大宅文庫資料こそ、質問を考えるための何より頼れるアニキのような存在なのである。

【関連記事】