『海に眠るダイヤモンド』“地層”を重ねた野木亜紀子脚本の凄み “ブルー”の画面を読み解く
“あの頃は良かった”だけにはしない『海に眠るダイヤモンド』
蓋を開けてみると、歴史のなかで記憶が薄れていく島の労働者たちの生活の物語であった。労働者たちの物語は日曜劇場らしい。町工場の奮闘を描いた『下町ロケット』(TBSを圭)などはその最高峰である。鉄平のような下級ホストは社会の労働環境の悪さに喘ぐ労働者であるが、いまや若い労働者たちは集団の力で大きな力にぶつかっていくこともしない。分断され、散り散りになり個々に悩み苦しむばかりである。いづみの会社でも、はっきり彼女に物申す社員もいなくて、いづみなんかから見たら誰もが覇気なく頼りないのだろう。 端島では「一島一家」と言われるように住人が団結し、大きな労働争議も行われていた。かといって、単にあの頃は良かったというドラマにしたいわけでもないであろう。着地点が気になる。 鉄平が残したコスモスの種を、2018年、玲央が植えたら小さな芽が出たことは希望である(ここで主題歌「ねっこ」の〈咲き誇れ ささやかな花でいい〉がかかるのがさすがの塚原あゆ子演出!)。そして思う。失われたかと思ったものだって、もしかしたら復活することがあるのではないかと。もちろん人の命の復活は難しい問題ではあるのでここではさておくが、記憶やその人の意思を受け継ぐことは不可能ではないはずだ。 新井順子プロデューサーが当初語っていた考察を楽しむ類のドラマではなく極めて正当派のヒューマンドラマだと感じている。がその一方で、澤田(酒向芳)も端島に由来する人物なのではないかという説もSNSではあって。ポルトガル語のサウダージ(郷愁、失われたものを思う気持ちなどの意味)を思わせるサワダーチと呼ばれる人物が何かを背負っていないはずがないし、朝子にあれだけ忠実なのは何かあるだろうと考察的要素も適度に楽しんでいる。 いずれにしても『アンナチュラル』(TBS系)の中堂(井浦新)の過去のような切なすぎるクライマックスを期待したい。
木俣冬