『海に眠るダイヤモンド』“地層”を重ねた野木亜紀子脚本の凄み “ブルー”の画面を読み解く
日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』(TBS系)も終盤に入った。謎の女社長・いづみ(宮本信子)が端島時代の朝子(杉咲花)であったことがわかり、残る謎は、彼女の想い人であった鉄平(神木隆之介)に瓜二つの玲央(神木隆之介・一人二役)が何者なのか、である。第1話の冒頭、リナ(池田イライザ)がボートに乗って島を出るときの赤ん坊は誰なのだろう。 【写真】息子・誠と幸せそうなリナ(池田エライザ) 『海に眠るダイヤモンド』第7話先行カット(全29枚) 当初、1955年の長崎の端島(通称:軍艦島)と2018年の東京が交互に描かれ、それをつなぐのはいづみと玲央という構成が、何を言いたいのかわかりにくいという視聴者の声もあった(単純に時制の行き来するドラマを好まない視聴者も少なくない)。ところが、第4話で、1950年代の端島は活気に満ちて見えるが、実は人々は戦争の傷が癒えないままそれを年に一度、包帯を剥がすように確認していることがわかったことで、1955年から2018年の空白の時間は決して空白ではなく、戦後から55年の間のようにつながっているのだということを痛感させられた。 「口に出せない言葉が地層のように積み重なって8月が来るたびに私達はただ祈る」 現代のいづみ(朝子)が持っていた鉄平の日記に記されたという一節の「地層」という言葉。この言葉がドラマを、引いてはこの世界を、物語っているように思えるのだ。 戦争の記憶、戦後の記憶と世界は地層を1枚1枚重ねていまがある。過去は消えることなく層をめくればそこに情報が息づいているのである。私たちは過去の上に積み重ねて生きているということが、回を増すごとに明確になっている。 第6話では、玲央が当時の端島のことを図書館で調べ、当時の写真をスマホで撮ってきていづみ(朝子)に見せた。そこに写った若き日の朝子、百合子(土屋太鳳)、賢将(清水尋也)を見て声をあげるいづみに、玲央は「俺んなかではさ、有名人だから嬉しいわ」と言う。過去の、まったく知らなかった人たちにいつの間にか親しみを覚えるように自然となる。これは理想的な過去の伝達であろう。歴史を伝えるドラマや映画とはかくありたい。 地層といえば、端島の産業を支えていたのは石炭である。石炭というのは植物由来のものである。植物の死骸が長い年月をかけて石炭化し地層となり、海に沈んでいる。端島の労働者たちはそれを採掘して生活し、その石炭は「黒いダイヤモンド」とも呼ばれていた。端島の人々の記憶や歴史の地層と石炭の地層を重ねた野木亜紀子の脚本は端正だと感じる。 植物の死骸に食わせてもらっていた端島の人々だが、第6話で朝子はこの島に植物を植えようと考える。戦争によって亡くなった人たち、植物の死骸を足元に感じながら生きてきた住人が、未来という命を生み出すことに目覚めていく。 だが、私たち視聴者は知っている。端島は現代ではすでに機能を停止していることを。端島のシーンは、おそらくカメラのフィルターにブルーが入っているようで、画面が淡いブルーに見えるし、画面のなかの青色の小道具類はより鮮やかに青に見えるような気がする。そのため、この島での生活の記憶と歴史が海に沈んでいるような気もしてくる。あるいはガラス瓶のなかに閉じ込められているような感じもする。要するに、大切な、きれいなもの、儚いもののようなイメージである。もちろん、炭鉱労働の大変さだとか、百合子が抱え続ける戦争の後遺症だとか、進平(斎藤工)の戦争の記憶だとか、リナのさらされている危険だとか、そういうものは重たく、暗いものをはらんでいる(ロマンチックに見える進平とリナの関係性が昭和の映画みたいな濃密さ)。重さや暗さもありながら、誰もが皆、懸命に生きていてキラキラしている。ブルー系の色味はそういうふうに感じさせる効果があるような気がしている。たぶん、あまり生々しいと、その重い、暗い部分が強調されてしまうところ、画面の調整に気を使っているのだろう。 初回から戦争の記憶などを描かず、勢いづいていく一方の人々の生活を描いたことは、戦争に関係した物語だと身構えてしまう視聴者もいるであろうと、先入観を与えない気遣いもあったのかもしれない。なにしろ、放送がはじまる前は、金髪ホスト役の神木隆之介のラッピングバスが渋谷を走っていて、いまのこの展開を想像できなかったです。