鉄道王が創立 1年次から少数ゼミでみっちり鍛錬「武蔵大学」とはどのような大学なのか
3学部8学科の中規模大学
練馬区にある西武池袋線の江古田駅は、西武池袋線の前身・武蔵野鉄道の株主だった初代の根津嘉一郎(初代)が1922(大正11)年に開校した旧制武蔵高等学校のために作られました。 【学部別】卒業生の「主な就職先」を見る 当初は通学生が利用する朝夕の電車の仮停留所で、現在の江古田駅より西側に位置していました。 自身が創立した学校のために駅を設置するという剛腕ぶりを発揮した根津嘉一郎は、武蔵野鉄道や東武鉄道のほかにも20社以上の鉄道会社の経営に携わり、日本の鉄道網の発展に多大なる貢献をした「鉄道王」の異名を持つ実業家です。 戦後の学制改革により旧制高等学校を起源とする学校は武蔵高校、次いで武蔵中学に分かれ、1949年(昭和24)に大学が誕生しました。 武蔵大学(練馬区豊玉上)は緑豊かな江古田キャンパスに経済学部、人文学部そして社会学部の3学部8学科と2研究科を持ち、学部生は4490人(2020年5月1日現在)の中規模大学です。 中高完全一貫校の武蔵高等学校中学校と隣接する敷地内にありますが、付属学校制はとっていません。
希代の実業家が教育機関を設置した経緯
明治期から大正期に創立された私立の教育機関の多くは、ミッション系や仏教系そして私塾を開講していた教育人を創始者としています。 そのため、一代で財を成した実業家である根津嘉一郎自らが教育機関を設置したのはあまりないケースです。 根津は1909(明治42)年に渋沢栄一を団長とする視察団の一員としてアメリカを訪問しました。その際にアメリカの実業家は経営で得た利益を文化財保護や教育に惜しみなく投資することを知り、日本の国力を上げるには優れた人材を育てる場が大切だと考えます。 訪米で感銘を受けた根津は、時が熟した1921(大正10)年7月に学校の運営母体となる根津育英会を申請。同年内に高等学校設置の認可されると、翌年4月に開校するという驚くほどスピーディーな展開で学校を始めます。 私立としては日本初の旧制7年生高等学校として誕生した武蔵高等学校は、前半の4年間を中学校に相当する尋常科に設定。後半の3年を高等科とし、現在の教養課程にあたる大学予科として帝国大学進学の橋渡しをしました。 戦前戦後の高等教育機関として多くの人材を育てた武蔵大学は、同時期に誕生した東京の7年制の私立旧制高等学校で「東京四大学」を構成しています。 他の大学は学習院大学(豊島区目白)、成蹊大学(武蔵野市吉祥寺)、そして成城大学(世田谷区成城)で、現在でも教員同士の交流が行われています。