広島25年ぶりVの裏にカープ流ドラフト戦略
「3番・中堅」の丸佳浩(27)は2007年の高校生ドラフト3位、千葉経済大学付属高では2度甲子園に出場、3年の選抜は投手だったが、広島は最初から外野手として狙いをつけた。4番の新井貴浩(39)は、1998年に駒大からの6位指名だったが、これは知人に頼みこんでの“縁故入団”。「5番・右翼」の“神っている”鈴木誠也(22)は、担当の尾形スカウトが1年秋から追いかけていた。巨人が狙っているという情報を入手したため、北條史也(阪神)を指名する予定を鈴木に方向転換、2位で指名している。 「6番・左翼」の松山竜平(31)は、2007年、九州国際大からの社会人、大学ドラフト4位。九州六大学リーグで最多安打の新記録を作り、首位打者2回、本塁打王1回、打点王3回を獲得したが、守備に難があって、守備位置が外国人枠と重なるためセの球団からは敬遠されていた。「7番・三塁」の安部友裕(27)は福岡工大城東から2007年の高校ドラフト1位。唐川侑己(ロッテ)の外れ1位だったが、怪我で甲子園に出場していない全国的には無名の安部の俊足と高校通算39本の強打を買った。まさに「広島向き」の選手だったわけだ。 しかし、広島のスカウト戦略は、ずっと順風だったわけではない。 1993年から逆指名が導入されたことにより、資金力で劣る広島は、その初年度は一人も事前に逆指名を取りつけることができず、以降、ピンポイントで、UFO投法の山内泰幸や、1996年には、沢崎俊和、黒田博樹、2002年には、永川勝浩らを獲得したが、他球団のような札束攻勢ができなかったため敬遠され、2006年まで続いたこの制度で、広島は計7年間分はその枠を使えず放棄する事態に陥っていた。 だが、2007年から自由枠(逆指名)が撤廃されると、現在のチームの主力となる選手を広島流ドラフトでスカウティングしていくことになる。 スカウトの熱心さにも、他球団のスカウトが脱帽するものがあって、現在スカウト統括の苑田氏が、夏の甲子園でも、ずっとネット裏で観戦を続けていることをみかねた片岡さんが「日射病になってしまうぞ。ちょっとは休憩しないと」と、言葉をかけた。しばらくして、苑田スカウトの姿が見えなくなった。「どうしたの?」と他のスカウトに聞くと、今でいう熱中症で倒れてホテルで寝込んでいたという。 「スカウトは、選手を取った後に現場でどう育てられるか、監督、コーチとの相性まで考えて獲得するが、広島の場合、“1年間は、触らない”という不文律があって、現場の都合で無理をさせないし、あれこれコーチがいじって素材をつぶすことがない。 取った後の重要な育成方針もぶれていないのも、選手が出てくる理由だと思う。広島の練習のきつさは有名だが、素材のある選手が、基本から徹底して鍛えられるので、一度レギュラーになった選手は選手生命が長くなる。新井や黒田がその象徴だろう」 “広島独自のスカウティングの目線”で、好素材を獲得して、2軍のコーチングスタッフが徹底した反復練習で鍛えて育成する。時間をかけて熟成された広島のスカウト、育成方式が、25年ぶりVの背景にあったことは間違いない。広島がチーム作りのモデルケースを示したのかもしれない。