芳村真理「10年介護の後、認知症の夫を見送って。彼のいない世界は色をなくして見えたけれど」
おしどり夫婦として知られていた、タレントの芳村真理さんと実業家の大伴昭さん。真理さんは10年間夫を介護したのち、2018年に看取りました。夫を亡くした喪失感と向き合い、新たな一歩を踏み出して──(構成=内山靖子 撮影=大河内禎) 【写真】『夜のヒットスタジオ』最終回で、夫の大伴昭さんと * * * * * * * ◆50年間連れ添った夫との別れ 夫が、遺伝性の認知症を発症し、約10年間の闘病の末に亡くなったのは2年前のことでした。 夫の両親が2人とも95歳過ぎまで長生きしたので、夫は100歳を超えるだろうと思っていたんです。それが89歳で亡くなってしまうなんて……。「ねえ、どうしてこんなに早く逝っちゃったの?」って。いまだに、彼がこの世にいないという実感が湧きません。仕事柄、海外出張も多い人だったので、今でも遠い国に出かけたままのような気がして。 亡くなってから、時折、夫の夢を見るんですけど、夢の中でも「どこに出張に行っていたの?」と聞いてしまいます。ひとりで暮らす生活もかれこれ2年近くになりますが、いまだに夫がどこかで生きているような感覚なんですよ。 日本ポラロイドやカルティエ・ジャパンなど外資系企業の社長を歴任した夫の大伴昭は、とても素敵な人でした。ビジネスマンとしても、ひとりの男性としても責任感が強く、伴侶である私のことも本当に大切にしてくれました。見た目もカッコよかったし、お洒落をするのも大好きで。お互いに再婚同士で50年間連れ添いましたけど、ずっと夫婦仲もよかったですしね。 実は、私が司会の仕事をするようになったのも夫が勧めてくれたからなんですよ。33歳で結婚する前、私は女優の仕事をしていました。でも、たまたまあるワイドショーにゲスト出演したときに、「面白い! こういう仕事をしたい」って思ったんですね。そうしたら、「君には司会の仕事が向いているって、以前から僕が言ってただろう」って。
「今までの真理さんのイメージとは違いすぎる」と、マネージャーからは反対されたんですが、彼は「絶対に向いている」と勧めてくれて。それで『小川宏ショー』に出てみたところ、とても評判がよかった。それを機に、私は女優の仕事をすべて断って司会業にシフトすることにしたんです。もともと演じることが得意じゃなかったので、ちょうどいい機会だと思ったんですね。 夫はビジネスマンとして、長年、世の中の仕組みを見つめてきたので、私にどんな仕事が向いているかということも客観的に判断できる人。私が司会に転向した後も、新規の仕事のオファーがあったときは毎回、夫に相談し、「GO」と言えば引き受けて、「NO」と言ったらお断りする。契約書も毎回夫がチェックして、「ここはおかしい」と、私のマネージャーに逐一注意してくれました。 そんな夫のサポートがあったからこそ、『夜のヒットスタジオ』『3時のあなた』『料理天国』といった人気番組で司会を務めることができたのです。仕事が途切れることなく、85歳になった今でも現役でいられるのは、いわば夫のおかげ。本当に感謝しています。 ◆彼の妻であることを大切に生きてきた その一方で、彼は昭和一桁生まれで昔気質の日本男児でしたから、家では常に自分中心でマイペース。「飯、食いに行くぞ」と家族で外食するときも、行き先はいつも夫が行きたいお店。「今日は何を食べたい?」って、私や子どもたちに聞いてくれたことなんて一度もありません。(笑) 私の仕事に関しても、社会的に意義があり、理にかなったものなら認めてくれましたが、「自分の女房として恥ずかしいことはしてほしくない」という思いが強かった。たとえば、泊まりがけで、今でいうバラエティ番組のレポーターのような仕事の依頼が来ると、「一家の主婦が、自分の仕事で一晩家を空けるなんてありえない!」って叱られて。 そういう考えの人だったので、『夜のヒットスタジオ』のオンエアが終わった後も、私は毎回、飛ぶように家に帰っていたんですよ。夜11時前に番組が終わったら、「これからみんなで食事に行こう」っていうのが業界ではあたりまえ。でも、「夫も子どももいるのだから、仕事が終わったらすぐに家に帰ってくるべきだ!」という夫の言葉に従っていました。そういう本人は赤坂のジャズバーで歌なんか歌って、好きに遊んでいたんですけどね。(笑)