【書評】淑女と紅茶の濃い関係:クレア・マセット著『英国の喫茶文化』
泉 宣道
茶の悠久の歴史の中で、英国の紅茶文化は17世紀以降に花開く。茶に関する書物は数多あるが、この本は英国女性の視点で喫茶物語を紡いでいるのが特徴だ。カップを片手に故事来歴を読み解けば、ティータイムはより芳醇になるだろう。
17世紀から現代までの喫茶史
「アフタヌーンティー」……。紅茶を味わいながら、スコーンや軽食をつまむ優雅な喫茶の風習だ。社交の場でもあり、女性が主役のことが多い。今日、日本の高級ホテルでも珍しくない光景だ。その源流は1840年代初期の英国貴族の社交界にまで遡る。 「最初にアフタヌーンティーの習慣を始めた人物は、ヴィクトリア女王の友人でもあったベッドフォード公爵夫人アンナ・マリア・ラッセルであるというのが多数の歴史学者が指摘するところである」 アフタヌーンティーは大英帝国の最盛期だったヴィクトリア朝(1837-1901年)時代に生まれた。当時、上流階級の晩餐の時間は遅かったことから、午後の茶と軽食は理にかなってもいた。 アフタヌーンティーは女王のお墨付きを得たことで、「1860年代には富裕層の間で広まり、19世紀末には中流階級の人々にも浸透した」のである。因みに「19世紀のアフタヌーンティーではスコーンはまだ定番ではなく、それがお茶に欠かせない存在となったのは20世紀になってからのことである」 本書は、17世紀中葉から21世紀まで約350年間にわたる英国の喫茶事情を描いており、その紆余曲折を豊富なカラー図版とともに概観できる。最初に渡来した中国産緑茶から、英国流の紅茶文化がいかに階級社会に浸透し、19世紀に定着したのか。英国の国民的飲料をめぐる劇的な歴史を知るには打ってつけの一冊だ。
紳士を虜にしたコーヒーハウス
意外かもしれないが、茶はまず「コーヒーハウス」で飲まれ始めた。「これはコーヒーのほうがお茶より早く英国にもたらされたという事実を知ると分かりやすい」。本書によると、茶葉が英国の港に初めて到着したのは1657年である。 英国最初のコーヒーハウスは1650年、オックスフォードで開店した。瞬く間にロンドン中に広がり、「1675年には英国内で3,000店舗を超えるコーヒーハウスが営業していた」という。 コーヒーハウスはコーヒーだけでなく、茶と酒類も供された。飲み物を注文すれば、店内に備え付けの新聞などが無料で読めるため、ジャーナリズムの発展にもつながったというのが定説だ。客同士が政治談議したり、情報交換したりする社交の場でもあった。 「店舗ごとに実業家、政治家、学者、詩人、聖職者といった各々特色ある独自の顧客層を獲得する」ようになっていく。行きつけのコーヒーハウスは商談や株式などの経済取引の舞台ともなった。 「なかでもエドワード・ロイド氏経営のコーヒーハウスが、今なお世界の保険業界をけん引して君臨するロンドンのロイズ保険者協会の発祥地となったことはつとに名高い」 しかし、当時のコーヒーハウスに出入りできるのはもっぱら男性客。紳士たちにとっては居心地がよかったが、女性たちには評判が芳しくなかったようだ。 もっとも、コーヒーハウスから茶葉が買えるようになったため「次第に裕福な階級の女性たちは、お互いをお茶に招待するという洗練された習慣を始めるようになった」。いわば淑女たちの“家飲み”がやがて、19世紀のアフタヌーンティーへとつながったのかもしれない。