写真は時代の証明 時代の顔を撮り続けたい ── 写真家・加納典明が語る
いまは写真家がとても生きにくい時代になりましたね
──写真家として、昔と今ではなにか違いを感じますか? 昔と比べて、いまは写真家がとても生きにくい時代になりましたね。まず、紙媒体がない。広告も、ロケにいかなくて済んじゃうでしょ。IT化が進んで、デジタルでいろんなことが済んでしまう。例えばロンドンの景色が写った写真を借りてきて、いかにもロンドンに居るようにCGで作れちゃう。それに伴って、企業のとっても写真の価値とあり方が変わってきた。取材だって、編集者がコンパクトカメラやスマホで撮影してしまう場合もあるでしょ。昔は、必ずカメラマンを連れてきたけど、いまは方法も多様化したしね。 それから、写真家が表現するにも昔と比べて、縛りが多くなったこと。アートや表現の自由も、時代とともに価値観が変わってきたので、ずいぶんやりにくくなりました。ヌードをアートではなく、猥褻として括られてしまうともうなにもできなくなっちゃう。猥褻とアートを、教育委員会や検察庁はいまも明確に分類できないでいる。僕は、これまで何度もこの問題に向き合ってきていて、検察庁の偉い人とかともかなり真剣に話をしようとした。けれど、戦っても戦っても、今の日本の制度のなかではやりきれない。虚しささえ感じるよ。 ──写真家として、なにを一番伝えたいですか? 僕ら写真家は、自分たちが撮りたいものを撮る、それが写真家なんですよ。それを規制したら写真家ではなくなるわけだ。だけど女性の性器なんか撮りたいとは思わないが、男に直球を投げたい。俺自身が勃起しないような写真は、人が勃起するわけ無いでしょうって言ったら、後日、タケシ(北野武)があの言葉はすごいねと賛同してくれたよ。まぁ、彼はきっとユーモアを込めて、そう言ってくれたんだろうけど、僕としては日本の男性に、『青年たちよ、勃起するのもいいけど精神の勃起もしてくれよ』というメッセージを投げかけたかったんだよね、写真を通して。勝手な理屈かもしれないけど・・・。それは今も変わらないよ(笑)