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戦地から家族へ手紙60通 19歳で戦死、富山の松田さん

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北日本新聞

■誇りや覚悟つづる  海軍航空兵として太平洋戦争で戦死した松田俊郎さん(享年19)が、練習生時代から亡くなるまでの3年余りの間、富山市の家族に宛てた手紙とはがき約60通が、市内の親族宅に残されている。古里や家族への思い、軍人としての誇りや覚悟…。つづられた言葉は、純粋な若者を死に向かわせた戦争のむなしさを伝えている。 (室利枝)  手紙を保管しているのは、めいの渡辺美季子さん(62)=富山市藤木。2年前に亡くなった父の実さんが、俊郎さんの弟に当たる。5年ほど前、生家から手紙が見つかったとき、実さんは「涙が出るから」と読むことはなかったという。「父にとって、まぶしいお兄さんだったと思う」  俊郎さんは1925年、富山市下堀に生まれた。旧制富山中学を経て、15歳で海軍飛行予科練習生(予科練)となり、茨城県の土浦海軍航空隊に入った。  予科練時代の手紙からは、勉強のほかラグビーや水泳、相撲などの鍛錬に打ち込む日々が浮かぶ。生まれて初めて飛行機を操縦した感動もつづられていた。

 「世の中に飛行機程(ほど)、乗り心地の良い乗物はないだらうと思ひました。十里四方一望の中に眺め尽くせ、実に壮快なる気分でした」  折に触れ家族を気遣い、実さんら弟妹への年賀状は兄らしい優しさがにじむ。  「新年オメデタウ 皆ンナ一ツヅツ年ヲトツタノダカラ、ソレダケリコウニナラナクテハダメダヨ 今年モカラダニ気ヲツケテ勉強シテ下サイ」  予科練卒業後は静岡の航空隊に移った。この頃の手紙では実戦を待ち望み、はやる気持ちを伝えている。  「十九歳の春を迎かへ、第一線に出る日も遠くはないと思って居ります」「此(こ)の大戦争下に海の荒鷲(あらわし)として御奉公出来る方が余程(よほど)男としてやり甲斐(がい)の有る事」  戦地から届いた軍事郵便も、8通残されていた。  「第一線の異郷の地にて正月を迎へました。内地の正月風景が幻の如(ごと)くに次々と思ひ出されて来ます」「敵米英は総反撃に出て参る様になりました。何糞(なにくそ)と私達はびくともしません。其のうちに目に物を見せてやる時が有るでせう」

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