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開幕で後輩と“亜大対決” 中日・与田監督は大学で野球を諦めかけていた…「続けさせてくれた」恩師の言葉

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中日スポーツ

渋谷真コラム・龍の背に乗って

 舞台は大学野球の聖地・神宮。東洋大(梅津)が抑え、日大(京田)が2ランで援護した。勝ち越した与田、負けた高津の両監督は亜大。1987年。4年生の与田監督と1年生の高津監督は、合宿所の「部屋長」と「部屋子」という関係で出会った。  「後輩だけど尊敬できる野球人。互いに負けられないわけだけど、高め合うことができれば楽しみだよね」  まさか開幕カードになるとは思いもしなかった昨年の冬、与田監督は「亜大対決」をこう話した。梅津と同じく東都リーグで通算1勝。故障に苦しんだ大学時代について、尋ねたことがある。  「レギュラーではなかったけど、悪い思い出は一切ないんだよね。ただ、僕の野球人生で一番あきらめようと思ったのが大学の4年間だった」  夢折れなかったのは、恩師の存在があったからだ。亜大を長らく率いたのが内田俊雄さん。与田、高津だけでなく、本紙評論家の井端弘和さんも「僕に野球を教えてくれた人」と感謝する名物監督だ。  「恩師ってどういう人だろう…。今の自分を作ってくれた人、使ってくれた人なのかもしれないけど、僕にとって内田さんは野球を続けさせてくれた人なんだ。サボってばかりだった僕が、野球に向き合うよう仕向けてくれた。会話をした記憶はないんだけど、じっと見守ってくれた人なんだよね」  覚えているのは「草をむしれ」と「しっかり走れ」。しかし、野球で生きる道をあきらめかけていた与田監督に、NTT東京で続けるよう勧めてくれた。「やめた方がいいなら、推薦もしてくれなかったと思う」。黙って見守りながら、眠る能力に気付いていたのだ。内田さんは亜大から拓大の監督となり、昨年限りで勇退。有志による感謝の集いで会ったとき、こんな言葉を授かった。  「監督は辛抱だぞ」。種をまき、水をやってもすぐに芽は出ない。4年間、辛抱してもらったからこそ咲いた花。初めて実現した「亜大対決」を、恩師は静かに見守ってくれたはずだ。

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