山田美保子「太秦撮影所には〈ナトリックス〉が!気さくな女優、同級生の名取裕子さん。歳を重ねて〈めんどくさい人〉にならないために見習いたいこと」
放送作家・コラムニストとして、数多くの著名人にインタビューし、コメンテーターとして活躍している山田美保子さん。小さいころは引っ込み思案で話すことも苦手だったそう。そんな山田さんを変えたのは何だったのか。さまざまな出会いや、出会った人のアドバイスを通じて、今の自分があるという山田さんが、自分が楽になるコミュニケーション術を紹介する新連載。第10回は「大学の同級生、名取裕子さんのこと」です。(写真提供◎山田さん) 【写真】名取さんとの「同級生ツーショット」。山田さんの愛犬ハンターくんも参加して * * * * * * * ◆女優にまつわる都市伝説に近いウワサ 「今の時代、『私、女優よ』なんて言っている人は、すぐに現場で嫌われてしまって、仕事が来なくなると思いますよ」 「特に裏方さんに好かれていないと、苦労することになってしまいます」 とは、80年代~90年代、ドラマや映画で主演を務め、一世を風靡していた某女優さんのインタビューで伺った話です。 長年、業界にはいるものの、《バラエティ班》である私にとって、ドラマや映画の現場の話はリアルには伝わってきません。時折、まことしやかに流れてくるのは、「大物女優が若手女優の演技や言動に対し、厳しい意見を言った」とか、「人気女優に監督が少し注意したら楽屋に籠って何時間も出てこなかった」という都市伝説に近いウワサばかり。 ただ、時折、バラエティ班のディレクターがドラマや映画を撮って、「本当に大変だった」という話を耳にすることも。比較的年代が近い女優さんが大勢出ている作品で、ポスター撮りの際や、名前を出す順番などについて、大モメしたとも聞きました。 バラエティ班の番組だと、「五十音順」という《逃げ》があるのですが……。
◆「ミス・サラダガールコンテスト」準優勝 さて、私は大学時代、ある女優さんと同級生でした。正確には同じ学科で、学年に2クラスだけあった別のクラスに彼女はいました。 その人の名は、名取裕子さん。 下からエスカレーター式で上がってきた私とは異なり、彼女は県立高校から、たいへん優秀な成績で入学してきたと聞きました。 2クラスしかなかったので、授業はだいたい一緒。私と同じく下から上がってきた親友が名取さんと同じクラスでとても仲がよかったので、私も自然と親しくさせてもらうようになりました。 名取さんが女優になったのは大学2年生。1年生のとき、広告研究会に所属していた名取さんは、学内で開催される「ミス・サラダガールコンテスト」に「1年の女子は全員、出ろ」との先輩命令で参加。当時、大学の広告研究会は、ちょっとした広告代理店のようなことをしていて、企業や本物の広告代理店との太いパイプがありました。なので、カネボウ化粧品が主催する同コンテストが、私が通う大学で行われたのです。 優勝したのは古手川祐子さん。準優勝が名取さんでした。人数合わせのために出場した(させられた?)のに準優勝。翌年、名取さんは、ポーラテレビ小説(当時、TBSでオンエアされていた昼ドラ)『おゆき』の主人公に抜擢され、多くの連続ドラマに主演して、現在に至ります。 2年ほど前、前述の私の親友と名取さんと3人で食事をした際、「2時間ドラマ枠が各局、激減しちゃったから、おばさん女優はツライのよ」などと言っていましたが、バラエティ番組やクイズ番組、CMや広告なども含め、同年代の女優さんの中でも、「ずっと第一線」と言えるのではないでしょうか。