母ちゃんが「親方」になった コロナ禍で苦境のお面屋を息子が継いだワケ
コロナ禍で、観光業は厳しくなった。移動が制限され、遠方からの客足は遠ざかり、現地の店は厳しい戦いを強いられている。群馬県の沼田市にも、厳しい状況に立たされている店がある。名前は、「天狗のこぐれや」。鞍馬山、高尾山と合わせて日本三大天狗と呼ばれる迦葉山(かしょうさん)のふもとで、寺の参拝道具として使用する天狗のお面屋を営んでいる。 【写真】こぐれやの天狗のお面 バブル期から2000年代までは参拝客が多く、関東圏からひっきりなしに客が訪れていたものの、時代の流れとともに減少していき、コロナ禍で更なる苦境に立たされた。 「いまはこんなに寂れてますけど、小学校入るまでは、車を置けないくらい繁盛していました。電話もひっきりなしで、『うちってすごいんだな』と思っていました」 快活に語るのは20代の木榑涼祐(こぐれりょうすけ)さん。コロナをきっかけに、「親方」と呼ぶ母親と、二人三脚で天狗のお面作りを行うようになった。 今でこそ、天狗のお面作りに没頭する涼祐さんだが、かつては家業を継ごうと思えず、「潰そう」と考えていた。潰そうと思っていた店をコロナの厳しい状況の中でなぜ継ごうと思ったのか。話を聞いてきた。
「お店を潰すなんてバカじゃん」
涼祐さんは、両親から店を継いで欲しいと言われることはなかった。そのため、高校を卒業したときも、転職したときも、職人だった父親が亡くなったときも、継ごうとは思わなかった。 「誰かを喜ばせる仕事」をしたいと思い、ゲームセンターで働き、イベント運営の業務に没頭していた。ただ、コロナ禍で仕事内容に変化があり、考えを改めることになる。 「コロナをきっかけに利益改善の仕事を与えられたんですよね。赤字のゲームコーナーでも手を打てば改善すると分かってきて、それなら『ウチのお店で、利益改善をやればよくね』って思うようになりました。母ちゃんひとりでお面作りだけをやってるけど、俺が入って、宣伝や販売に力を入れれば伸びそうって気持ちになって。自分のお店だったら、みんなが笑顔になれるイベントも開けます。なにもしなければ数年で潰れそうな状況でしたが、『もっとやれる。お店を潰そうなんてバカじゃん』と考えを改めました」 そして、涼祐さんは、ゲームセンターを辞めて家業に入ることを決断する。そのとき、「母ちゃん」は「親方」になった。 母親はお面を作り、涼祐さんはお面づくりの技術を学びながら営業や宣伝、書類仕事などを担うようになる。親子二人三脚で歩み出し、母親も次第に元気になっていった。