原爆投下は「不幸だが必要」だったのか ボストン大教授が日米の認識を比較
原爆投下の妥当性は「生きた争点」になっていない
「原爆投下は不幸だが必要なこと」だったーー。これがアメリカ社会の世間一般の通念だが、果たして本当なのだろうか。学者の間では議論がある。 「カリフォルニア大学の長谷川毅教授は、日本の戦争遂行能力は、当時いずれにせよ崩壊しつつあり、特に1945年8月にソ連が侵攻してからは、日本が降伏するまでは時間の問題だったと主張している。また、原爆を1個ではなく2個落としたことは、妥当だったのかどうかという議論もある」 しかし、ほとんどのアメリカ人は、その点について全くといっていいほど考えていないとバーガー教授は指摘する。「アメリカは原爆を1個だけ落とすべきだったのかや、原爆の破壊力を見せつけるだけで良かったのではないかという点は、今日『生きた争点』になっていない。そのような点は、アメリカ人の原爆の記憶の中軸になっていない」
「大統領による謝罪」も検討されていた
ただ驚くべきことに、「アメリカ政府内において、大統領によるハイレベルな意思表示をすべきかどうかについて、多くの議論がなされてきた」とバーガー教授は話す。意思表示とは例えば、大統領が広島平和記念公園を訪れるなどして、原爆は私達アメリカ人が後悔すべき事柄だということを示し、何らかの形で謝罪するということだ。 アメリカ国内にはこれに賛成する意見もある。核兵器不拡散を推進するために、原爆について謝罪をするのも選択肢の一つだという意見だ。北朝鮮やインド、パキスタンなどといった国々が次々核を開発し「核不拡散体制」がもはや危機に瀕している中、大統領が核兵器の恐ろしさを伝える象徴的な意思表示をすることは、核の不拡散に役立つかもしれない。 しかしそのような動きは、すさまじい国内の政治的抵抗に遭う。大統領にとってこの選択を追求することは政治的なコストとなる。よって、大統領による謝罪はいまだに実現していない。「本当に日本の人々に共感と理解を示し、核兵器に関する国際社会の議論に影響を与えたいのであれば、駐日大使レベルではなく、大統領レベルで広島に行きたいと思うはず」とバーガー教授は語る。