Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

五輪断念したラグビー福岡堅樹の盟友・恩師が語る「決断のルーツ」

配信

FRIDAY

日本ラグビー界のエースである福岡堅樹が、延期になった東京五輪への挑戦を断念することを表明した。パナソニック ワイルドナイツの一員として現役は続けるが、今後は15人制、7人制いずれも日本代表ではプレーせず、かねてより公言していた医学の道を目指していく。 ラグビー福岡堅樹 『王様のブランチ』24歳美女と腕組みデート 「自分の中で後悔しない人生を生きたいという思いが強かった。この選択が自分にとって一番すっきり受け入れられるものだった」。会見でそう語った“決めたことは必ずやり切る男”のルーツを、長年同じチームでプレーした盟友と、高校時代の恩師に聞いた。 ◆「あいつが泣いているのを初めて見た」 中学3年時の福岡県選抜で初めて一緒にプレーして以降、福岡高校、筑波大学と同じチームに所属してキャプテンを務めた同い年の松下真七郎(現九州電力キューデンヴォルテクス)は、今回の発表について「ケンキらしい決断だな、と思います」と感想を口にした。自分の意思を理路整然と説明できるのは昔からで、会見で堂々と受け答えする姿に、かつての面影を感じたという。 「高校時代から自分の意見をしっかり持っていて、ラグビーの話になると先輩に対しても『こうしたほうがいい』とはっきりいえるタイプでした。本当に頭がいいし勉強もできるので、言い合いになると同期は誰も勝てなかったですね(笑)」 中学時代から抜群の俊足で知られていたものの、当時の福岡県選抜は現在パナソニックのチームメイトである布巻峻介を筆頭にそうそうたるメンバーがそろっており、決して飛び抜けた存在ではなかった。特別な才能が開花したのは、高校に入り身体ができてきてからだ。ちなみに福岡は2年時に左膝、3年時に右膝の前十字靭帯断裂という大ケガを負っているが、松下によればケガをする前はいま同様のスピードで、もっとキレ味鋭いステップをふんでいたという。 「あのスピードであんなステップをふめば、そりゃあ膝をケガするだろうな、というくらいすごかったイメージがあります」 長い時間をともに過ごした高校時代でもっとも印象に残っているのは、高校3年時の夏合宿での出来事だ。副キャプテンながら膝のケガでプレーできない福岡は、ピッチの外から懸命に仲間へアドバイスや指示の声をかけていた。一方で、チームを思う気持ちゆえに厳しい言葉が出ることもあり、過酷な合宿生活で心身とも消耗する仲間の中には、「どうせお前は外から見ているだけだろ」と感じる部員もいた。そうした不満が爆発してFWの選手と衝突した時、感情を露わにして涙を流す福岡の姿があった。 「本来なら自分も試合に出て引っ張りたいのに、それができない歯痒さもあったんだと思います。なかなか人前で感情を出すタイプじゃないですし、あいつが泣いているのを見たのは、その時が初めてでした」 昨秋のラグビーワールドカップでの大活躍は、同じラグビープレーヤーとして純粋にうれしかったし、かつてともに戦った盟友として誇らしくもあった。トライシーンの興奮も格別だったが、何より松下にとって印象的だったのは、試合後のインタビューだ。 「いつも冷静なケンキが、(史上初の決勝トーナメント進出を決めた)スコットランドに勝った後のインタビューで感極まってしゃべっていたのは、グッとくるものがありました。『このためにすべてを捧げてきました』という言葉を聞いて、いいこというな、と」 この2、3年は多忙から会うこともできていない。落ち着いたらお酒を飲みながら、ゆっくり話をしたいと思っているという。 ◆並大抵の努力ではできないことを、実現させてきた 福岡堅樹が福岡高校在学中にラグビー部の部長を務めていた牟田口亨司先生(現柏陵高校教諭)は、東京オリンピックの延期が決まった直後に別件で連絡をとった際に、本人から挑戦断念の意思を聞いた。 「最終的には『自分で悔いのない決断をしたらいいんやないの』と伝えました。もちろん本当は続けてほしい。ただ、もうひとつの夢も大きいですから。あいつがそう決めたら、誰が説得しても変わらないだろうな、というのもありました」 オリンピックに出場できるのは、ひと握りの選ばれたトップアスリートだけだ。しかも今回は自国開催という一生に一度のチャンスでもある。ラグビー王国ニュージーランドから歴史的金星を挙げながら、あと一歩でメダルに届かなかった2016年のリオデジャネイロ五輪(4位)の悔しさを晴らすという意味でも、東京大会にかける意気込みは強かっただろう。一方で、そうした中でも自分の意思を貫き通せる決断力が、福岡のすごさだと牟田口先生はいう。 「それができるから、あそこまでのプレーヤーにもなれたのだと思います。そしてだからこそ、今回の大きな決断(医学部挑戦)も、ぜひ達成してほしい」 自分でこれと決めたことは、必ず成し遂げる。そのためにどんな状況でも最大限の努力を続けられる。そうした姿勢を、高校時代からずっと目の当たりにしてきた。膝を手術した際も、普通の高校生ならついリハビリがおろそかになって予定より復帰が遅れることが多い中で、福岡は自分でジムに通って大事な試合までにきっちりコンディションを戻してみせた。大学卒業から長いブランクがある状況での医学部挑戦についても、「選手としてトップレベルで戦いながら、きっと必要な勉強を地道に続けてきたはず」という。 「ちょっとやればできることを『できます』というのは、誰でもできる。並大抵の努力ではできないことでも、頭の中でしっかり計画を立ててできるように持っていくのが、彼のすごいところだと思います」 どんな医師になってほしいかを聞くと、牟田口先生は「臨床医として患者さんを診るならみんなから慕われる医師になってほしいし、研究医になるなら、スポーツに還元できるような新しい治療法を開発してほしいですね」と話した。温かさと期待が入り混じる言葉に、教え子への変わらぬ思いがにじんだ。 取材・文:直江光信 1975年熊本市生まれ。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)

FRIDAYデジタル

【関連記事】

最終更新:
FRIDAY