税金でゆすり、暴力で脅し、ときに人を殺す……国家は「チンピラ暴力団」と同じだという「絶対に知っておくべき真実」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】税金でゆすり、暴力で脅し、ときに人を殺す…国家は「チンピラ暴力団」と同じ 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
国家と暴力団は何が違うのか?
法律は、自ら犯罪だと宣言していることを合法化することもできる、黒を白にすることができる道具なのである。 たとえば、一般人が行う殺人は犯罪だが、国家が行う殺人は死刑と呼ばれ合法化されている。一般人が行う強盗は犯罪だが、国家が国民から税金を取ることは合法であり、そのための法律まである。 「納税は国民の義務」とさえされており、多くの善良な市民はそれが当たり前と思っている。だが、みんな本心では喜んで税金を払っているわけではない。払わないと追徴されたり脱税といわれて摘発されたり、いわば脅しがあるから仕方なく払っている。その意味では、税金は国家に脅し取られているようなものである。 そもそも、国家が国民から税金を取ることが正当化されたのは、16世紀のフランスの法学者ジャン・ボダン(1530─1596)による「主権論」の確立に始まる。 これこそ主権国家という言葉の語源であるが、その主権とは、暴力を独占した権力が、多様な民族や言語、慣習を有していた地域社会をまるごと把捉して支配し、その領域内の人々が宗教上の理由などで争いを起こすようなことがあれば力をもって抑止することを法によって正統化する概念である。この主権が成立した時、社会ははじめて国家になるとされる。 難しそうなことを言っているが、でもこれ、要するに暴力団の縄張り支配と本質的には変わらない。違うのは、主権には法による支配の正統化があるのに対し、暴力団にはそのような裏付けがないことである。 国家は主権者という組長に「合法的に」支配されるシマなのだ。ボダンは主権の権限として国民からの徴税権を正当化したが、それはいわば「みかじめ料」のようなものである。「このシマで安心して暮らしたり商売できるようにチンピラどもを大人しくさせてやるから、守料を支払いな」というようなものである。昔から自治をしていた地域社会に後になってから勝手に支配しに乗り込んできたくせに。